前号に引き続き、「偉大なマイナス」について、もう一度捉えなおしてみることにします。
偉大なマイナスとは、し尿などの「汚いもの(第一のマイナス)」と、「腐敗・腐乱(第二のマイナス)」との融合から、新たに豊かなものが生み出されるという構造です。
ところが「たまの次元」には「死体の腐乱化」(第二のマイナス)がないので、この構造にはなりません。そこで神話の祖先たちは次のように考えました。 つまり「たまの次元」と「ものの次元」の対立を包み込む宇宙全体から「偉大なマイナス」を考えるということです。
まず対立するものは「イザナギ-イザナミ」・「男-女」・「生-死」・「プラス-マイナス」です。
ところが、この図の「生-死」の対立を「たま-もの」の対立に置き換え、「イザナギ-イザナミ」の対立に置き換え、「イザナミ-イザナギ」のはたらきを入れ替えて、イザナギの世界に「第二のマイナス」を生み出していこう、というものです。
なお、宇宙全体は、存在としての「たま」と「もの」が、また空間としての「天」と「地」が、時間として「この世」と「あの世」が対立する構造になっています。
そこで祖先たちは、宇宙の二重構造によってどんな「宝物」を生み出し、何をメッセージしているのかが、最も重要な問題となります。
それら「マイナス二重構造」とその「宝物」については、「三貴子」を注意深く読み解くことによって、真の「国生み」が完成する過程で確かめることができます。
三貴子は、イザナギの世界に現れたので、具体的な「もの」ではなく、「たま」の存在です。
この場合「たま」というよりはむしろ自然界の「法則・原理」の象徴、といった方が適切です。
まず天照大神は「太陽」のシンボルで、「昼」の法則を司ります。「高天原を治める」とはそういう意味です。
月読命も同じく高天原に居ながら、こちらは「月」のシンボルで「夜」の法則を司り「夜の世界を統治」しています。
そして「海」を治めるのがスサノヲです。
以上から神話の宇宙をまとめると、空間をイザナギの「天」、イザナミの「地」、及びスサノヲの「海」に分けるのが妥当と思われます。しかしそれでは、イザナギ・イザナミと次元の違うスサノヲが少し不自然になります(スサノヲはイザナギ・イザナミの子供なので)。
なお、宇宙は「昼」と「夜」の二つの法則にしか分けられません。「昼・夜・海」と並べると、どうしてもスサノヲの「海」がしっくりきません。
つまり神話の中ではスサノヲの「坐り」が究めて悪くなっています。
宇宙は、よく一個の人間に例えられます。そして「たま」と「もの」が、「こころ」と「からだ」にあたりますが、これは「肉体と精神」や「霊と肉」、「身と心」などとワンセットで使われます。
そして「健全な肉体に健全な心が宿る」といわれるように、心と体がバランスよくワンセットになっていることを、私達は何気なく正常な状態と考えています。それは宇宙全体における「たま」と「もの」の秩序を考える場合も同じです。
ではこの点は、これまで見てきた神話ではどう表現されているのでしょうか。
神話では、黄泉津比良坂で「千引岩」を中にしてイザナミとイザナギが、互いに「永遠の決別」(永遠の決別:「事戸を度す」)をしていいます。この二神の決別によって、「たま」と「もの」は、完全に決裂したままの状態です。
その上、イザナミの死により、この世は新たに「ゆたかなもの」を生み出すことができなくなり、異常な事態に陥ったのです。
この異常な事態を打開したのがスサノヲで、父イザナギに対して、スサノヲが反抗することによって、解決されていくのです。