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第三十回 「神代の物語~その4~」・・(平成20年8月1日)

 前回で取り上げた、「死」と「穢れ」について、もう少し深く読み込んでみることにしましょう。

 まず、神話の「けがれ」「きたない」「こわい」「みにくい」者をマイナス的なものとします。
 それらが「死」「瀕死」「死体」「死の国」などにかかわるものとしては、「火の神」、イザナミの「ヘド」「屎」「尿」、イザナギの剣先の「血」、火の神の死体の「頭」「胸」「腹」「陰」「両手」「両足」、イザナミの死体の「蛆虫」「八つの雷神」、黄泉の国の「魔女」、スサノヲに殺されたオオゲツヒメの「頭」「両目」「両耳」「鼻」「口」「陰」「尻」があります。
 また、イザナギが黄泉の国の死穢を、川でみそぎしたときに生まれた、「禍の二神(八十禍津日神・大禍津日神)」もありますが、そのときできた「禍の二神」は、ここに上げたものとは次元が異なり(「生まれた」と「できた」の違い)、「三貴子(天照大神・月読命・スサノヲ命)」と同じ次元になるので、ここには含みません。
 これに対してプラス的なものでは、詳細は省きますが、「食物」とその「種」「道具と製法(技術)」など、生活に欠かせないもの、生活を豊かにするものでした。

 以上を以下のようにまとめます。

 まず、それ自体がマイナスイメージを表しているものを「マイナス的なもの(第一のマイナス)」とします。
 次に「神(人)の死」はプラスでもマイナスでもありません。いわばゼロ(0)ですが、神話では重要な役割を果たしています。
 次に「瀕死・死体の腐乱」はあきらかにマイナスですから、これを「瀕死・死体の腐乱(第二のマイナス)」とします。
 最後に、神話では「第一のマイナス」と「第二のマイナス」が重なり合うことから生まれる「豊かな実りや道具・技術」はプラスなので、「プラス的なもの(食物の種・道具=豊かな生活)」とします。
 これまで見てきた神話では、屎尿など、それ自体がマイナス的(第一のマイナス)なものが、「死」「瀕死」、手足など「死体の一部」、「腐乱の死穢」など第二のマイナスとかさなった時に「豊かなもの」が生まれています。

 日常生活では、「第一のマイナス」は、単なる「きたない」「こわい」「みにくい」「けがれた」ものに過ぎません。
 しかし、死がもたらす「穢れ」という第二のマイナスがこれとかさなると、必ずそこに人々にとって大切な「豊かなもの(プラス)」が生まれています。
 つまり第一のマイナスと第二のマイナスが重なることで、はじめてプラスが生まれているのです。

 古代では、死体の腐乱という「穢れ」に変化することによって、はじめて「死」を確認できました。現代のような医療技術がなかった古代にあって、「死の確認」は大変重要でした。死を確認するまでは、仮死状態の可能性もあり、いつ生き返るかわかりません。『日本霊異記』や『今昔物語集』などには、仮死状態から生き返る話がたくさんあります。当時はそうしたケースが多かったものと思われます。だから、死の確認は、死体の腐乱を確認するまで待つしかなかったのです。これがいわゆる「殯(もがり)」という儀礼に残っています。
 死体の腐乱が「第二のマイナス」ですが、死を確認するためには「死穢」は避けては通れなかったのです。ところが「第二のマイナス」は「第一のマイナス」を「プラス」に転換する偉大なマイナスだったのです。この第二のマイナスの偉大な働きを発見したことが、祖先たちの「叡智」であり「宝物」だったのです。

 結論を先取りするなら、お墓とは、この偉大なマイナスを「はぶりまつる」シンボルだったのです。

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