日本神話を注意深く読み解くと、そこには「死」と「穢れ」に関して、大変重要な特徴が浮かび上がってきます。
日常生活では避けたり排除したりする「穢れたもの」「こわいもの」など、マイナスイメージのものが、「死」や「瀕死」と重なることで、人々の生活に欠くことのできない「大切なもの」をかならず生み出しています。
いわば「マイナス」から「プラス」が生まれ、「負」が「正」に転換する、そういった特徴が見られるのです。
「死」は、遺族や集団にとって、身近な者を失う大きな悲しみであり、重大な出来事です。しかし決して「死ぬこと」自体が「穢れ」なのではありません。
ただ、死体そのものは不気味ですし、死体の腐乱が始まると、「死」は「穢れた」「恐い」「汚い」「醜い」マイナスイメージへと転化します。
そして単なる「きたないもの」と、「死体」や「瀕死」のマイナスが二重にかさなった時、人々に不可欠な大切なもの、プラスが生まれる、という話が日本神話にはいくつもあります。
このことは、日本人の「お墓」や「葬儀」を考える場合に、大変重要な意味を持ってきます。
そこでまず「死体」や「瀕死」がプラスを生み出す話をふたつ紹介しましょう。
【例1】
イザナミが火の神(火之迦具土)を生んで重病の床に伏したとき、瀕死の病身で、吐き出したヘドから金山の神(鉱山を司る男女の神)が生まれ、糞からはハニヤスの神(土器の泥を司る男女の神)、尿からは水の女神、ワクムスビの神(生産を司る神)、最後にトヨウケヒメの神(食物を司る美しい女神) が生まれました。
やがてイザナミは亡くなり、出雲に埋葬されます。
【例2】
イザナギは愛しい妻を殺した我が子、火の神を憎み、剣で首を切り、殺してしまいます。すると剣先の血が岩に飛び散り、そこから岩析の神(岩石を砕く威力のある神)と根析の神(岩根を切る威力のある神)、岩筒の神(筒状の石の神)の三神が現われました。また剣の手元の血も岩に飛び散り、こちらはミカハヤヒの神(迅速な雷の神)、ヒハヤヒの神(迅速な火花の神)、健御雷之男神(雷の男神・刀剣の神、神武東征などに登場する。)が現われます。更に、剣の柄に流れ溜まった血が指の間から漏れ落ちて、そこから谷の水神である、闇淤加美神・闇御津羽神が現われました。
また、火の神の死体の頭・胸・腹・陰・両手・両足からは、山に関する八柱の神ができました。なお、イザナギが用いた聖なる太刀を天之尾羽張 (あめのおばはり)といいます。
この二例では、瀕死のイザナミの排泄物から「製鉄に必要なもの」が生まれ、火の神の血から「製鉄過程での溶鉱や火花の様子」が描かれ、火の神の死体からは製鉄法のヒントとなったと思われる「火山噴火」を象徴する山が現われます。
この話は、三種の神器の一つ、「剣」の製法に関わる物語とも解釈できますが、それだけにはとどまりません。
岩を砕き、石を切る「石工道具」や伊勢神宮に祭られる稲作の神が現われることから、農作に必要な農具(鋤・鍬・鎌など)も想起できますし、樹木を伐るための斧やのこぎりなどの製材用の「鉄器具」など、あらゆる金属製品を連想することができます。
これらの金属製品はいずれも、人々の生活を豊かにするために欠かせない、大切な文明の利器です。歴史の教科書にも載っているように、金属器の利用は、人間文明に多大な影響を与えてきたことは明白です。
これからみな、穢れた・汚い・醜い・恐いものから生まれた、しかも「死」・「瀕死」の場面で生まれている、これはどういうことなのでしょうか。
こうした物語は、「瀕死のイザナミ」「火の神の死」に限りません。例えばスサノヲの命の「高天原追放」に際し、日本人にとってもっとも大切な「稲」をはじめ、「五穀」の起源に関する物語があります。以下に示しますが、やはりここでも「死」「穢れ」が深く関連しています。
【例3】
高天原を追放されたスサノヲは、食物を司るオオゲツヒメの神に食べ物を所望します。そこでオオゲツヒメは、鼻・口・尻から様々なおいしい食べ物を取り出し、多彩な料理にしつらえてスサノヲに供します。ところが、スサノヲはオオゲツヒメが料理しているところを覗き見してしまっていたので、「わざと汚くして自分に食べさせようとしているのだ」と怒り、オオゲツヒメを殺してしまいます。
このオオゲツヒメの死体の、頭から蚕、両目から稲種、両耳から粟、鼻からは小豆、陰からは麦、尻から大豆が生まれました。神産巣日の御祖命はこれらの穀物を高天原へ持ち帰り、「種」としました。
こうした物語は、「穢れ」が私たちの生活に欠かせない、豊穣な食べ物や生産に必要な道具・技術に元になっていることを語っています。そしてそこには必ず「死」が関わっています。
私たちの祖先が自然界において経験した多くの事象の中で、「死」と「穢れ」のかかわりによって新たな生産土壌を生み出すことに気づき、同様の事象を何度も経験した結果、祖先たち共通の知恵となっていったのでしょう。こうした知恵は数多くあったと考えられます。そしてこのような、祖先たちが多くの経験から会得した知恵は、なんらかの形で無意識のうちに神話の中に反映していたに違いないのです。
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