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第二八回 「神代の物語~その2~」・・(平成20年6月1日)

国学院大学の上田教授は『日本神話に見る生と死』(『東洋学術研究』第27巻第2号1988)で、「我々日本人は、その祖先が自らを『神の生みの子』と自覚していた事実である。(中略)そしてこの信仰は、平安時代に編まれた『新撰姓氏録』にも継承されているのである。神と人との血縁によるつながりと信仰(中略)、これが日本人の『生』に対する態度を方向付ける上で、どれほど大きな意味を持っているかを忘れることはできない。」と述べています。 

 私たちは「天孫降臨」思想として、高天原の子孫が地上に降臨したのが天皇一族であり、天皇は「現人神」と、戦前まで教育されてきました。今は現人神ではありませんが、普通は、何気なく天孫降臨したのは天皇家と思っています。

 しかし私たち日本人の祖先もまた「神」であった、という上田教授の「確認」は、日本人の先祖祭祀やお墓を考える上で、大変重要な意味を持っています。 例えば日本民族学の父・柳田國男は『先祖の話』などの著書に、人は死後、歳月を経て「死霊」→「祖霊」→「神霊」と変化(浄化)し、「神霊」は村の鎮守の森(神社)の氏神様の仲間入りをして、村人から定期的に祭られる、という民俗をあきらかにしています。 神霊に至る第一段階の死霊を祭る場所がお墓や仏壇であり、三十三年、あるいは五十年という長い年月の間の子孫たちによる先祖祭祀(先祖供養)によって死者は神(神霊)となる、という点は注目するべきことです。

 これまで見てきたように「国生み神話」は国土だけでなく、あきらかに、この世の人や万物すべての誕生につながっています。それらはすべて、イザナギとイザナギの二柱の神によって生み出された「神の生みの子」です。 日本の国土・海・川・草木・動物・無生物ももちろん人にも、すべてに「神」の血が流れ、「神が宿る」という「汎神論」の世界です。また「八百万の神々の国」ともいわれます。

 「国生み神話」を読んで気づくのは、国生みの主役は、二神ではなくむしろ「女神イザナミ」です。イザナミはこの世のあらゆるものを倦むことなく次々と生み続けています。瀕死の状態でもなお生み続ける姿は気迫すら感じさせます。 『古事記』ではイザナミの命を最後に「黄泉津大神」と名づけますが、本質は「大地母神」と読んだ方がふさわしいと感じます。 イザナミの子孫である私たちは、人が亡くなると「土に還る」という考えを持っています。イザナミは日本の「国生みの母」であり、太古の「亡き母(妣)」なので、私たちも亡くなると「妣の国」に還ることを強く望みます。この妣の大地に還るところに建つのが「お墓」です。

 東京大学の丸山真男教授は、日本思想史の方法論として、日本神話から、その古層を「うむ(生む・産む)」・「なる(成る)」というキーワードで解き明かそうとしました。これは西欧の「つくる(創る)」という思想の基盤と区別されますが、日本の思想を理解する上で大変重要なキーワードです。

 丸山真男『忠誠と反逆』所収の「歴史意識の『古層』」には、『古事記』に使われている、「うむ」・「なる」の違いを丹念に論及しています。 要約すると、神話には沢山の神々やものが出てきますが、イザナギとイザナミが男女の性的な交わりをして生んだ神々やものの場合は、かならず「うむ」と表現されます。 一方、高天原にはじめて登場する神々や、男神イザナギ単独の世界に登場する神々は、男女の交わりがないのでかならず「成る神」と表現されています。 本居宣長も自著『古事記伝』において「うむ」「なる」を多くの事例から詳しく考証しています。

 さて、西欧の「創る」思想の代表的なものが、ユダヤ教・キリスト教・イスラム教のような、唯一絶対の神がこの世を創造した(『旧約聖書』創世記など)とする一神教です。一神教では、神と人は断絶した別次元なので、人は「神生みの子」ではないのが特徴です。

 日本神話の汎神論は、すでに多くの学者によって指摘されているとおり、古代中国にその原型があります(福永光司「『古事記』神話と道教哲学」「『古事記』の『天地開闢』神話」など)。

 『古事記』序文には、この世のはじめは無秩序な混沌とした状態で、万物の形質もはっきりとせず、名前も働きもない状態だったが、やがて天地に別れ、三柱の神があらわれ、次にイザナミ・イザナギがあらわれ、万物を生み出す祖となった、といった趣旨の記述があります。 この原型である中国の古典(『周易』など)にも、「混沌」が「陰陽」に分かれて「万物」を「造化」するという記述があります。

 類似した物語ですが、中国古典においては、陰陽を擬人化した物語としては語られていません。これを哲学書と神話の違いであるといってしまえば、それまでではあるのですが、古代中国の原型を日本的な知性や固有文化によって、物語の構造を持つ思想書として作り上げたのが『古事記』であると言えるのではないでしょうか。 『古事記』を構造的に読み解くことで、我々は「日本人のお墓」の原点の意味をより深く、より正しく理解することができると思います。

 また、日本神話に流れる「人は神の生みの子である」という汎神論の基盤があると、そこから派生する民俗には「死後、人は神霊となる」という死後観が生まれます。仏教が伝来して「すべての人にはみな仏と同じ本質がある」(一切衆生悉有仏性)という思想が輸入された際も、ごく自然に受け入れ、容易に身近な信仰の支えとすることが可能でした。それがやがて「人は死んだら仏様になる」という「死後成仏」の仏教民俗へと展開することになります。 これゆえに、上田教授や丸山教授があきらかにしてきた、日本の汎神論的世界観は、「日本人のお墓」を考える上で、大きな意味があるのです。

 

 

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