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家督の重要性

「家督」と「分家」のことについては以前も説明したが

昔は、分け与える財産が、生産性のある田畠であることが多く

その家督を長男が継ぎ、次男、三男は分家と呼ばれていた

家督を分けてもらえば「分家」となり

仮に、家督から財産(田畠など)を継いだわけではなく

親の職業を継がずに、何もないところから財を成していく者は

「別本家」と呼ばれていたように思われる

 

ひとつの例として

ある貧しい医者の家があり

その妹が離婚して息子を連れて実家に帰ってきた

妹は亡くなったが、その息子は医者にはならず

商家に奉公して真面目によく働き

資産を蓄え、母の実家の近くで商いを始めた

商売の才能があったらしく

一代で相当の富を得て

4、5人いた子を皆、分家させることもできた

そして自分の家をあえて「本家」と呼ばせて

母の実家を本家とは呼ばなかったのである

医者の家の家督は少なく

あえて「分家」になる道理はなかったのである

いわば、この商人は「御先祖様になった」のだ

 

自分の才能を遺憾なく発揮し

自らの力で一から財を成し

独自に「御先祖様」になった者も多かった

 

親の跡を継がず

自分の力で財を成したのだから

本家・分家の間柄はもっとクールなものでもよいのではないか?

という思想が発生し、感化される者も多くなってきた

家の繋がりを割り切って考えるのだ

現代のように、親の商売を継ぐ者が昔より少ない場合は

その傾向が顕著に見られる

農業を基盤に代々生活していた家は

目に見えて明らかな家督があった

親は、自分の死後も永遠に家がつながるように計画して

次男や三男にも分け与えられるように苦労してきたのだ

 

しかし親の家督を当てにしないで

財を成したものは

家の存続や、先祖に対する感謝が薄れているように感じる

本当に自分の力のみなのか?

家督とは有形財産だけなのか?

 

一代で財を成すには

相当の才能が必要である

勤勉な性格、健康な体、優秀な頭脳などがなければ成し遂げられないことであろう

しかし、それらは先祖から受け継いだ「無形の家督」ではないだろうか?

田畠のように目に見える家督が少ない現代だからこそ

子孫と先祖を繋ぐ、遺伝子情報が自分が働くことができる「無形の家督」だと解釈し

その家督を残してくれた御先祖様に感謝して生きていくことが大切でなのではないだろうか

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