前回のコラムで、「二十五三昧会」の取り決めごと『横川首楞厳院二十五三昧起請』十二箇条を掲載しました。今回は、起請に見られるお墓と葬送に関する言葉について、書いてみたいと思います。
まず、「光明真言」による土砂加持です。
『不空羂索毘廬遮那仏大灌頂真言一巻』というお経に、次のような言葉があります。 「もし過去にどんな重罪を犯しても、この真言を二、三、七遍聞くだけで、たちまち一切の罪障は除滅される。…もし人が重罪を犯して地獄や餓鬼など諸悪道に堕ちてもこの真言を百八遍唱えて土砂加持をし、使者の遺体の上に撒けば、この真言の神通力で、一切の罪障は除かれ、西方極楽浄土に往き、蓮華の花に化生して菩提を得ることができ、決して諸悪道に堕ちることはなくなる。」 源信の『起請』や先の良源の『御遺告』は、この経典に依っていることがよくわかります。この真言は、真言宗で最も重要視されただけではなく、浄土宗でも重んじられたようです。鎌倉時代の代表的な仏教説話集『沙石集』に、興味深い説話がありますので、大雑把に紹介します。
ある浄土宗の学僧が「亡き人の魂の菩提を弔うには、どの教えが勝れているか」と朝廷より質問を受けます。僧は「宝篋印陀羅尼」と「光明真言」が勝れていると答えます。弟子はこの返答を聞いて不満に感じ、「念仏こそ広大な善根、無常の功徳なはず、師は浄土宗の僧なのに、どうして他宗の教えを誉めるのか。」と疑問をぶつけます。 これに、僧は次のように答えます。「念仏して願いがかなうのは、すべて念仏に善根の功徳があるからで、ほかの教えもかなわない。しかし地獄に落ちるほどの重罪人が往生するには、高僧に会って十念を唱えて、初めて極楽に生まれることができる。そのような機会のない重罪人の子孫が、宝篋印陀羅尼を七遍くり返して廻向するだけで、重罪人は極楽へ生まれ変わり成仏できる。光明真言は、地獄に堕ちて苦しむ死者の魂に、この真言を一遍唱えて廻向すると、阿弥陀仏が極楽世界へと引導する。また、亡き人の墓所で、この真言を四十九遍唱えて廻向すれば、阿弥陀仏はこの霊を背負って極楽世界へと引導する。またこの陀羅尼を見て土砂を加持すること一百八遍、土砂を墓所に散らし、死骸に散らせば、土砂から光が放たれ、霊魂を救って極楽へと送る。これらにはいずれも典拠となる経典や解説書があるのだが、念仏にはこうした明確な典拠がない。だから念仏のことは答えなかったのだ。
各宗派のお墓に「宝篋印塔」が建てられる理由、「光明真言」をはじめとする陀羅尼やお経をお墓に収める意味、墓地の地鎮祭に光明真言で清めた土砂を用いたり、一部の地域で見られる、葬儀の際に使者や棺桶に「御土砂」をかける風習、これらの意味は、この話から理解されるかと思います。 次に、墓所の「安養廟」について見ていきましょう。
安養廟は、今回取り上げた十二箇条の『起請』より前、慶滋保胤が撰した『起請八箇条』では「花台廟」と書かれています。いずれも二十五三昧会の墓所の名前で、「安養」とは「浄土」のこと、「花台」はおそらく「蓮華台」のことと思われます。 『起請』の当該箇所の解説を読むと、高僧に墓所を占ってもらい、陰陽師を招いて地鎮法をおこなわせ、卒塔婆を一基建てて真言でその地を鎮めなくてはならない、と記載されています。当時は映画でもおなじみの陰陽師が活躍した時代で、日時や方位の吉凶に病的なほどこだわった時代ですが、その影響か、本来占いとは無縁なはずの僧侶が、墓地に限っては占いをおこなってます。もっとも、『日本書紀』仁徳天皇の頃から墓地を占う記録は残っていますので、日本の伝統習慣を踏襲しているとも考えることができます。 また、源信『起請』も慶滋『起請』のいずれにも卒塔婆一基を建てることが記載されています。これは源信の師・良源の「御遺告」を踏襲したものと思われますが、お墓の慣習として考えると、この二十五三昧会の『起請』が「骨を修めないお墓」としての「供養塔」の原点となるのではないでしょうか。
「追善供養」についても、良源の「御遺告」が、弟子の墓参を想定していたことを踏襲したと考えられます。井上光貞『日本古代国家と仏教』(岩波書店)では「二十五三昧会は、生者と死者からなる結縁衆の念仏・追善の結社であった」とあり、速水侑『日本仏教史・古代』(吉川弘文館)には「保胤の『八箇条起請』は…『往生要集』に見られない葬送追善の行儀の規定も含んでおり…結社の死者の葬送追善の問題は避けて通れなくなった」とあります。現在私たちがおこなっている追善供養の原点はまさにここにあると言えます。 そして、これは重要なことですが、源信自身は「観想念仏」を重視していましたが、追善の際の念仏はどうしても皆で声を挙げて唱える「称名念仏」にならざるを得ません。臨終・葬儀の際の「称名念仏」といえば空也が思い出されます。空也と源信・保胤との関係については、『今昔物語集』や『発心集』といった史料には、師弟関係にあったことを示す記載が見られます。直接的に関係があったかどうかは定かではありませんが、二十五三昧会の活動に、良源以外の先達の功績が取り入れられていることは明らかに見て取れると思われます。
- Newer: 第十五回 「覚鑁その一」・・(平成19年5月1日)
- Older: 第十三回 「源信その一」・・(平成19年3月1日)