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第十三回 「源信その一」・・(平成19年3月1日)

 いい加減しつこいと思われるかも知れませんが、鎌倉仏教全体に見られる特徴として「仏教の複雑膨大な教えの中から、人々が本当に救われるエッセンスを抽出し、教え広めた」ことが挙げられます。そして、多くの宗派が、平安末期に盛んになった浄土教の教えや精神を反映して生まれてきたことも、すでに何度も述べてきました。

 源信(942~1017)は、浄土教の生みの親とも言える存在です。その著作『往生要集』は、日本浄土教のバイブル的存在と言えます。まずは序文より、その大まかな内容を見てみましょう。原文は漢文ですが、なるべく平易な文章に改めてみました。

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 往生極楽の教えとその実践は、濁世と末世には目となり足となる。出家者も在家の者も、また身分の貴賤も問わず、誰も皆最後はここに行き着く。だが顕教と密教の教えは必ずしも同じではなく、仏や浄土を具体的に観想するにも、仏の教えを理論的に観想するにも、非常にたくさんの実践法があって、知恵の優れた者や精進できる者は難なくできるだろうが、私のような頑迷で愚かな人間にはとてもそんなことはできない。だから『念仏』だけの分野にしぼって、わずかだが教典や論書から肝心な文章を集めた(これが書名の由来)。これによるならわかりやすく簡単に実践できるだろう。全体を十章、全三巻に分けた。

  一、厭離穢土(穢れたこの娑婆世界を厭い離れることについて)
  二、欣求浄土(極楽浄土に生まれることを願い求めることについて)
  三、極楽証拠(極楽をすすめる典拠について)
  四、正修念仏(正しい念仏の実践について)
  五、助念方法(念仏を助ける方法について)
  六、別時念仏(特定の期日におこなう念仏について)
  七、念仏利益(念仏によって受ける利益について)
  八、念仏証拠(念仏をすすめる典拠について)
  九、往生諸業(極楽往生するための色々な実践法について)
  十、問答料簡(問答による疑問点の解明)

これを座右に置いて、忘れないようにしたいものだ。」

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 四万八千巻とも言われる、膨大な仏典の中から、念仏往生に関わるエッセンスだけを取り出し、貴賤を問わず極楽浄土へ至る道を解き明かす。こう書かれた序文に、その後の鎌倉仏教に共通する精神を読みとることができるかと思います。

 さて、源信の唱えた「念仏」は、大きく「平生の念仏」と「臨終の念仏」の二つに分け、とりわけ「臨終の念仏」を重んじました。「臨終」とは言うまでもなく死の間際のこと。臨終の時に念仏をすすめること(臨終観念)を重視して、自身の臨終の際の心得にも書き記しています。彼のこうした「臨終行儀」の尊重は、すぐに大きな反響を呼び、賛同する僧侶や在家の貴族ら二十五名により、『往生要集』が完成した翌年(985)には、すでに念仏往生を願う結社「二十五三昧会」へと繋がります。

 「二十五三昧会」は源信と、『日本往生極楽記』の著者、慶滋保胤が中心となって結成された念仏結社です。会の講式(取り決めごと)は慶滋保胤らによって何度か出されますが、最終的には源信の『横川首楞厳院二十五三昧起請』十二箇条にまとめられます。この内容は、後に日本全国で臨終から葬儀・お墓のあり方に大きな影響がありました。なので、少々長くなりますが、以下に現代語訳の要旨を掲載したいと思います。

  一、毎月十五日の夜に「不断念仏」をおこなう。
  一、毎月十五日正午を過ぎたら念仏をし、それまでは『法華経』を講じる。
  一、十五日夜に集まった人の中から順番を決めて仏前に灯明をささげる。
  一、『光明真言』で加持した土砂を死者の遺骸に置く。
  一、二十五三昧のメンバーは、互いに永く父母兄弟の気持ちを持つ。
  一、二十五三昧のメンバーは、これを発願した後は、身・口・意の三つの行い(三業)を慎まねばならない。
  一、メンバーに病人がでたときは、心を配ってやる。
  一、メンバーに病人がでたときは、当番を決めて看護し、見舞いをする。
  一、小さな建物を建てて、これを「往生院」と名付け、病人を移すこと。
  一、あらかじめ優れた土地を占っておいて「安養廟」と名付け、卒塔婆一基を建てて、我らメンバーの墓所とすること。
  一、メンバーに死者がでたときは、葬儀をおこない、念仏を唱えること。
  一、この取り決めに随わず、怠ける者があるときは、メンバーから外すこと。

 二十五三昧会は、極楽浄土への往生を願う仲間達が、横川首楞厳院で、念仏と『法華経』購読を中心とした信仰生活を送り、結束の固い同志意識のもと、病人の処方・臨終時の対応・墓所や墓の準備・埋葬方法とその根拠・死後の「往生の確認」とその対処について、綿密に連携した組織として活動しました。

 さて、これらの史料の中に見える、お墓や葬儀に関する記述については、少々長くなりますので、次回、触れたいと思います。

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