Home > コラム | 古事記 > 大長谷命の時代①

大長谷命の時代①

第20代天皇の安康天皇は
実の妹と禁断の恋に落ちた兄の木梨之軽王(キナシノカルノミコト)を排除して皇位に就いた

安康天皇は同母弟である大長谷命(オオハツセノミコト)をとくに目をかけていた

安康天皇は、若日下王(ワカクサカノミコ)を大長谷命の妻にしたいと考えた

その許可を得るために、その兄の大日下王(オオクサカノミコ)のもとに
根臣(ねのおみ)を送った
大日下王は、その提案に快く応じ
その証として押木の玉縵(おしきのたまかずら)を献上した

しかし、根臣は押木の玉縵が欲しくなってしまい
大日下王が拒絶したと嘘の報告をしてしまうのだった

安康天皇は、それを聞いて腹を立て
大日下王を殺してしまい、大日下王の正妻である長田大郎女(ナガタノオオイラツメ)を奪って皇后にしてしまった

大日下王は有力な皇位継承者だったので
安康天皇のこのような行動の背景には
政権基盤を確実に固める意味合いもあった

安康天皇は大日下王と長田大郎女の子である
7歳の目弱王(マヨワノミコ)を引き取って育てていたが
ふと心配になり皇后に相談した
「目弱王は、実の父を殺したのが自分だと知ったら反逆してくるのではないだろうか?」と

その時、御殿で遊んでいた目弱王はその言葉を耳にしてしまい
その場で刀をとって、安康天皇の首を落として
父の復習を果たした
そして目弱王は、そのまま大臣の都夫良意富美(ツブラオオミ)の屋敷に逃げ込んだ

都夫良意富美は葛城氏の長だった
葛城氏は履中、反正、允恭と3代にわたって外威として政権の核を担う実力者だった

安康天皇の母が皇族出身ということもあり
葛城氏は朝廷と距離を置いていたが
王家に対抗できるほどの大豪族である
目弱王は、そんな都夫良意富美のもとなら安全だろうと考えて逃げたと思われる

天皇の殺害という前代未聞の大騒動となったが
歴代の天皇が殺害されたのは
安康天皇と、第32代崇峻天皇だけである

Home > コラム | 古事記 > 大長谷命の時代①

 

このページのTOPに戻る