古事記の中巻の最後には
天之日矛(アメノヒホコ)の来朝が書かれている
天之日矛が神功皇后の母方の祖先ということになっているので
ここに組み込まれているのではないかと思われる
日本書紀では神功皇后との関係は語られておらず
天之日矛の子孫である田道間守(タジマモリ)が常世国に橘の実を取りに行く話と関連づけて
垂仁天皇記に天之日矛の来訪が記されている
天之日矛の話に戻ると
昔、新羅のある沼のほとりで貧し身分の女が昼寝をしていた
そこに太陽が輝いて虹となり
眠っている女の陰部をめがけて貫いた
女は妊娠して赤い玉を生んだ
あるひとりの男性がその赤い玉を譲り受けた
そのあと、その玉は新羅の王子である天之日矛の手に渡った
その玉から流麗な美女が生まれた
天之日矛は、その阿加流比売(アカルヒメ)と結婚した
天之日矛と阿加流比売の結婚はすぐに破綻をむかえた
阿加流比売はおいしい料理を作り天之日矛に尽くしたが
天之日矛は口うるさく難癖をつけるため
阿加流比売は腹を立てて家を出て、日本に渡ってしまった
阿加流比売は小舟でやってきて難波にたどり着いた
妻を探して天之日矛も海を渡って日本にやってきた
だが海峡の神が邪魔をして難波にたどり着くことができない
日本海をたどって但馬までやってきたが
結局ここで阿加流比売を探すことを諦めて
但馬の俣尾の娘である前津見(マエツミ)と結ばれた
そして二人に子供が生まれて
天之日矛から数えて4代目が多遅麻毛理(タジマモリ)で
その弟である多遅摩比多訶(タジメヒタカ)の娘が神功皇后の生母である葛城の高額比売命(タカヌカヒメノミコト)である
つまり神功皇后は天之日矛の6代目の子孫にあたるということだ
ちなみに日本書記ではこの説はとっていない
天之日矛は新羅から、珠や鏡など8種の神宝を携えてきた
その神宝を神として祀っているのが伊豆志神社(兵庫県豊岡市の出石神社)だと古事記では語られている
古事記の中巻は神武天皇から応神天皇まで
次の仁徳天皇から最後の下巻となる
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