大和へ凱旋しようとした時
神功皇后は我が子の品陀和気の異母兄にあたる
香坂王(カゴサカノミコ)と忍熊王(オシクマノミコ)が反逆しようとしているとの情報を耳にした
神功皇后と品陀和気を待ちかまえて殺害し、天皇の座を奪う計画を立てていたのだ
仲哀天皇の亡骸を運ぶ船を用意して
その船に品陀和気を乗せて
品陀和気は死亡したという噂を流した
その喪船を先頭に、瀬戸内海を進んでいった
香坂王と忍熊王は
斗賀野(現在の神戸市灘区、または大阪市北区兎我野町付近といわれている)
で待ち伏せをして
そこの場所で戦いを占った
すると突然、大きな猪が現れ、怒り狂って香坂王を食い殺してしまった
占いの結果にめげずに
忍熊王は伊佐比宿禰(イサヒノスクネ)を将軍に立てて
軍勢を構え、神功皇后に攻撃をしようとした
神功皇后は、軍勢を迎え撃ち
忍熊王を劣勢に追い込んだ
忍熊王は山城国で陣容を立て直し
一進一退の戦いとなった
この膠着状態を脱するために神功皇后の将軍が
一計を案じた
神功皇后が死亡したと偽情報を流し
降伏するように見せかけて
油断した相手のすきをついた
この作戦は見事成功し
忍熊王の軍は散り散りになった
逃げる忍熊王の軍を、神功皇后の軍は
逢坂(現在の京都府と滋賀県の境)まで追いつめて
楽浪(琵琶湖西岸)で壊滅させることに成功した
降参した忍熊王は琵琶湖に入水して命を絶った
神功皇后の軍の大勝利となった
一方、品陀和気は一度死んだことにされたために
その汚れを清める必要があった
そのため敦賀の気比神宮に参拝する
そこで品陀和気は、気比の伊奢沙和気大神(イザサワケノオオカミ)と
汚れ払いのために名前を交換した
汚れを落とし清らかな身となった品陀和気は
母の神功皇后のいる大和へ向かい
やがて即位して応神天皇となった
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