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神功皇后の遠征①

成務天皇が亡くなり直系が絶え
悲劇の英雄である倭健の子である
仲哀天皇(第14代)が即位した

九州の熊曾が反乱を起こし
天皇は反乱を鎮圧するために香椎宮(福岡県)に赴いた
しかし、皇后の息長帯比売命(オキナガタラシヒメノミコト)に神が降臨し
海のむこうの金銀財宝に恵まれた国(新羅)を服属させよと託宣した

天皇がこの神の意向を疑うと
怒りに燃えた神は
「そなたが天下を統治すべきではない。黄泉国へいけ」と言った
天皇はその場で命絶えてしまう

神は大臣の建内宿禰(タケシウチノスクネ)に言葉を降ろした
神は皇后の胎内にいる子が世継ぎであると述べて
全ては天照大御神の意思であると告げた

建内宿禰が神託した神の名前を問うと
住吉三神(大阪の住吉神社の祭神)だと言った

さらに建内宿禰に住吉三神は託宣して
天上神や地上界、山や川、海の神をすべてきちんと祀り
自分の神霊を朝鮮半島に出撃する船に乗せて渡航すれば
望みはきっとかなうだろうと語った

住吉三神は伊邪那岐神(イザナキノカミ)
が黄泉国から戻ってミソギをしたことによって生まれた神だった

航海の安全を守る神で
そのため新羅遠征の守護神となった

しかし天皇に神罰を与えたので
朝廷からは畏れ敬われていたようだ

神を降ろして託宣を告げる建内宿禰は
成務天皇(日本書紀では景行天皇から)にはじまり
仁徳天皇まで4代にわたって仕えたと言われている
計算すると建内宿禰は300年間生きたことになる

神功皇后は三好三神の言う通りに
神祀りを尽くし
軍勢や船団を整えて半島へ向かった
日本書紀ではこの時、神功皇后は男装して出撃したと書かれている

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