12代の景行天皇は、多数の妃を召しており
子の数は80人とも言われている
その中で特別に愛情を注いでいたのが大碓命(オオウスノミコト)と小碓命(コウスノミコト)の兄弟であった
あるとき景行天皇は、9代の開化天皇の孫にあたる美濃(岐阜県)の大根王(オオネノ
ミコ)の二人の娘がとても美しいとの評判を聞き、妃にすることにした
そこで、大碓命を派遣して迎えに行かせることにした
ところが、その二人の娘を目にした大碓命は
あまりの美しさに自分のものにしたくなった
そして景行天皇を裏切って二人と結婚し、天皇には違う女性を差し出したのである
景行天皇は、その事実を知って悩んだが
大碓命をとがめることはなかった
大碓命は、気まずい思いから天皇と顔を合わせることを避け
朝夕の食事にも同席しなくなった
天皇は大碓命に態度を改めさせるために、小碓命に説得を頼んだ
小碓命に説得を命じて5日が経っても
大碓命は食事の席にやってこなかった
天皇は小碓命に、まだ話をしていないのか?と問いただすと
すでに教え論したと答えた
どのようにしたのかと聞くと
夜明け前に大碓命が厠に入るのを待ちかまえて
手足を引きちぎってムシロに包んで投げすてたと言う
小碓命は天皇の言葉を「復習せよ」と誤解をして
勝手に制裁を加えてしまったのだ
父思いで誠実な小碓命は
父を悲しませた不実な兄が許せなかったのだろう
しかし、この行為に天皇は恐ろしくなった
この子が秘める荒々しさは危険に感じた
勇猛ではあるが、災いを招く危険もあると思ったのだ
父に忠誠を誓った証の兄への制裁
しかし父はその忠誠を疎ましく思っていた
そのころ九州南部では、熊曾建(クマソタケル)という二人の兄弟が
朝廷に従わずに反抗を繰り返していた
景行天皇は小碓命を遠ざけるために
熊曾建の討伐を命じた
小碓命が戦いで亡くなってもいいと考えての派遣だったのである