お釈迦様が解いた仏教の教えと、現在日本で語られている仏教では
全く別なモノになっている
これは、長い歴史と距離を移動するにあたって
少しずつ解釈が変わってきたようだが
現代の仏教の解釈と、原始仏教では別の宗教と言ってもいいほどの変貌を遂げているのだ
その解釈は枝分かれをして
ある意味、柔軟な都合の良い解釈もされながら伝わってきていて
現代では、葬祭時のイベントのマニュアル的なものになっている
日常的な信仰心はなく
死を迎えた時に、その宗派に則り解釈された作法で儀式を行い
全ての人は、成仏できることになっている
しかし原始仏教は、都合良く全員が成仏できるようなものではなく
現世の行い如何によっては、成仏することなく
その業に従い転生するものと教えられている
それ故に、人々は来世の果報を願い
成仏、またはよりよい転生を願って徳を積むのである
昔の宮家の人々が、任務の遂行後や後家になった後に出家するのも
来世の果報を願ってのことであった
俗世を捨て、仏門に入ることは
尊い行いであり
生きながらに世を捨て、欲を捨て、執着を捨て
心の浄化に励むのである
それに反して、現代の儀式では
現世の行いが、どのようなものであっても成仏できてしまう…という
ちょっと都合の良い解釈がなされているのは
歴史や時代が移り変わり
ライフスタイルが変化している影響もあるのだろう
しかし、それで現代人は後生が解決できたと安心しているのではなく
みんながやっているから、とりあえず儀式として執り行い
その意味など、あまり考えていない場合も多いのかもしれない