天照大御神と高御産巣日神は環境が整ったということで 地上に天照大御神の子である天忍穂耳命(アメノオシホミミノミコト)を降すことにした
その命令を受けた天忍穂耳命は高御産巣日神の娘の万幡豊秋津師比売命(ヨロズハタトヨアキツシヒメノミコト)との間にできた子である邇邇芸命(ニニギノミコト)を自分の代わりに降臨させるように頼んだ
高天原の最高神である天照大御神と高御産巣日神は、それを承諾した
最終的に地上の統治に指名されたのは邇邇芸命であった
邇邇芸命は天照大御神の孫にあたるので天孫と呼ばれるようになる
なぜ、降臨する神が急きょ変更になったのであろうか?
これは古事記を作成する時に、女帝の持統天皇から孫の文武天皇に譲位されているが その状況が反映され、太上天皇として幼い天皇を後見するということで 持統天皇を天照大御神に 文武天皇を邇邇芸命になぞらえたのではないかと言われている
邇邇芸命が地上に降りようとした時に 高天原と地上をつなぐ道の辻に、天と地を照らす不思議な神が現れた
天宇受売命(アメノウズメノミコト)が命じられて名前を聞くと
猿田毘古神(サルタビコノカミ)と名乗り、案内役を買って出た
高天原は邇邇芸命に天児屋命(アメノコヤネノミコト)や天宇受売命など八神を従わせて
三種の神器(八尺の勾玉、八咫の鏡、草薙剣)を与えて降らせた
一行は雲を押し分けて進んでいき、九州の日向の高干穂の霊峰に降り立った
そこには天孫に仕えるために天忍日命(アメノオシヒノミコト)らが到着を待っていた
「この地は朝日がよく差し、夕日が明るく照るいい国だ」と邇邇芸命は語り
太い宮柱を建てて大きな宮殿を建設して、そこで暮らすことにした
その日向の高干穂は、現代のどの場所にあたるのであろうか?
有力な候補は二カ所あり
宮崎県北部の高干穂町と、宮城県と鹿児島県の県境にそびえる霧島連山の高干穂峰だ
しかし、高干穂は土地の名称ではなく 神霊が降りるための高く積んだ稲穂のことを意味するという説も存在する