諏訪から出雲に帰ってきて
建御雷(タケミカヅチ)は、再度大国主に国譲りを迫った。
すでに事代主(コトシロヌシ)も建御名方(タテミナカタ)も高天原に従うことを誓っている。考えを聞こう。
ここにきて大国主は地上を献上することを誓った。
国譲りが成立し、天照大御神の子を地上に送る準備が整ったのだ
国譲りは、高天原が天皇家の祖先に地上世界を支配することを命じ
地上世界の最高神であった大国主が地上世界を譲ったことを記した物語である。
これは高天原の直系である天皇家が国を支配するという
正当性の根拠を示している天皇家にとっては大切な物語なのである
国譲りの物語は、一応神話であって事実ではないとされているが
そもそも巨大国家でもなっかた出雲が物語の舞台とされているのか?
大国主は出雲に留まらず、日本全国で広く信仰される神だった。
その大国主に対して、神の中でも上位にあたることを主張するのが国譲りである。
大和から見て日が沈む方向にある出雲を黄泉の国に見立てて
そこに追いやって祀ったために、出雲が物語の舞台として選ばれたと考えられている。
大国主は国譲りを認めるかわりに条件を出した
「宮柱を太くして立て、大空にそびえる立派な神殿を建ててほしい。
その願いをかなえてくれたら、幽界に退き静かに暮らそう」
と。
この大国主の国譲りの条件は
出雲大社の起源を物語っている。
出雲大社の成立時期は不明なのだが
出雲大社は古くから立派な社殿が造られるようになっていった。
平安時代には奈良の東大寺大仏殿を超える高さ48mにもなっていたという。
発掘調査でも鎌倉時代のものと思われる巨大な宮柱が発見されており
大国主の国譲りの条件を裏付ける証拠となっている。
その高層な社殿は国譲りの代償であり
大国主の無念の魂を鎮める目的だったのであろう
今の出雲大社の本殿は江戸時代に建てられたものだが
その物語を継承しているかのように
千木までの高さが24mもあり
全国の神社の中でも群を抜く高さである。