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草薙の剣

「草薙の剣」といえば 言わずと知れた三種の神器の一つであり

ヤマトタケルが東征の際に用いたことでも知られる

有名な剣である                       現在、この草薙の剣は愛知県の熱田神宮に保管されているが 実はこの草薙の剣が出雲で作られたものであることを知っている人は少ないのではないだろうか?

 

ヤマタノオロチの退治の際に その結末で草薙の剣が登場する

ヤマタノオロチに酒を飲ませて

スサノオは十拳剣でヤマタノオロチを切り裂いた

その際の流血で、肥の河は血で染まった そして、ヤマタノオロチの尾を切った時 剣の刃が欠けたので見てみると、そこに「都牟刈の太刀」があった

これが、のちの「草薙の剣」である

この太刀は製鉄の結果できたものであるといわれている

ヤマタノオロチを切り裂いて 血が流れて赤く染まる現象は、製鉄の作業の様子である

 

それでは、この「草薙の剣」は、その後どうなったのだろうか?

 

ヤマタノオロチの尾から現れた剣を 不審に思ったスサノオは その事情をアマテラスに話をして 剣を献上した その後、ヤマトタケルの東征の際にアマテラスが天から降ろし それからずっと、草薙の剣は朝廷の手元に置かれている

 

このように、地方の特産物などを 朝廷に献上することは、昔はよく見られた光景である

 

草薙の剣は、武力の象徴であると同時に 稲穂を刈る鎌の象徴でもあった 草薙の名前の由来は ヤマトタケルが目の前の草を薙ぎ払ったことだと言われている

草を薙ぎ払い、開拓して そこに稲田を作って、作物を育てて、それを収穫し、有益な土地を作る 稲田を作ることは 敵地を奪い、領地を広げていくことと 同じくらいの価値があったと考えられた象徴でもあるのである

 

一件、武力のように 力を象徴することと 田畑を開墾していくことは 全く、違うことのように思えるが その力の強さは 双方、命をつなげるための 重要なことと考えられているので 同列に扱われているのである

 

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