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古事記が必要だったワケ

上、中、下巻の全3巻で構成された古事記は
天地のはじまりから語られていて
第33代の推古天皇まで記されている

まだ、ひらがなやカタカナのない時代の書物で
太安万侶は、漢字の音と訓を使い分けて
日本語で理解できる仕組みになっている

それとは対称に
日本書紀は、漢文(中国の文語体の文章)で書かれているので
中国や朝鮮半島の人も読めるようになっている

古事記は、全体の1/3を神代の話になっている
(それと比べて、日本書紀は神代の話が1割程度)
国譲りや天孫降臨などの神話に大きな赴きが置かれている

その理由は、この古事記の発行の理由と大きく関係してくる

古事記の最大の目的は
天皇家の統治の正当性を語ることにあるのだ

天武天皇が、古事記の編集を決めた時には
すでに朝廷を中心にした国家体制ができあがっていた

しかし、それを現時点での事実…というだけではなく
天皇が国を治めるべく根拠を明確に示し
より支配力を高める必要があった
それが、天皇家を安泰にし
永続的に国家を治める理由となると信じられていた

そこで、古事記を編集し
国譲りなどで神話から正当性を説いていったのである

歴史書としての性格が強い日本書紀に比べて
古事記は多数の歌をもりこみ、演出も加えられて
神々の心中や、人間の愛や憎しみなども丁寧に書かれていて
文学的要素も強い
それゆえ、古事記は現代でも親しまれ、語り継がれる読み物になっていったのである

では、なぜ古事記と日本書紀という似通った二つの書物が
同時期に誕生したのであろうか?

実は、二つの書物は
似ているが、その発行の理由が全く違っているのである

当時、正史を持つ事は一等国の証であると言われていた
日本書紀は、そのような理由から
日本の正史として誕生した
対外的な目的も大きく
中国や朝鮮半島に読まれることも意識して漢文で書かれていると言われている
実際に日本書紀は、遣唐使によって中国に運ばれている

日本初の正史として誕生した日本書記は
たびたび朝廷内でも勉強会が開かれるなど注目度も高かったが
古事記の方が次第に忘れられていくことになる

そんな古事記が再び脚光を浴びることになるのは
江戸時代中期に国学者本居宣長が「古事記伝」を出版してからのことである

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