天皇から直々に古事記の編集・執筆の依頼を受けた人物は
記録に二名残っている
稗田阿礼(ひえのだあれい)と、太安万侶(おおやすのまろ)
である
稗田阿礼は、当時28歳の
舎人(とりね)という、天皇の側近に奉仕する役職だった
天皇の側近は、皇族や貴族などであるが
雑用をするような役割だった
しかし、稗田阿礼は大変頭が良く
一度、見聞きしたものは全て暗記できて、忘れることがない…という能力を持っていたといわれていて
その才能を買われて古事記制作のメンバーとなったようだ
天武天皇にその才能を見初められた稗田阿礼は
古事記のもとになった「帝記(ていき)」や「旧辞(きゅうじ)」などを覚えるように命じられた
そして、もう一人の執筆者である太安万侶は
文章を書く才能に秀でていたので
稗田阿礼が覚えた内容を文字におこしてまとめていく役割を担った
これを命じたのは、元明天皇である
太安万侶は、奈良時代の文官であり
古事記の序文の終わりに
「正五位上勲五等太朝臣安萬侶(しょうごいのじょうくんごとうおおのあそんやすまろ)」
と、自分の位を記している
古事記を執筆するくらいの人物であるから
位が高いように思われるかもしれないが
この「正五位上」という位は
そんなに低くもないが、高くもない
勅命を受けるわりには
こういってはなんだが、中途半端な位である
しかし、それほど
太安万侶は、文才のある人物であった…ということであろう
この古事記の制作には
天皇も、かなり力を入れていたようで
二人共、位など関係なく
才能を見込まれての大抜擢だったようである
稗田阿礼が覚えた内容を文章にするのは
かなり大変な作業だったようで
太安万侶は、一年もの期間を費やして執筆を終えている
太安万侶の存在は、その後の歴史書にも記されており
墓も発掘されていることから
その存在は、間違いないと思われているが
稗田阿礼に関しては人物があいまいで
「日本書記」や「続日本記」にも記録が残っていなく
「古事記」にしか登場しない人物である
そもそも稗田阿礼自体の存在を疑う説や
女性説なども巻き起こる
情報の少ない、ナゾの多い人物なのである
ともかく
古事記は、記録上では
この二名が執筆したと言われているのである
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