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古事記は、誰が何のために作ったのか

日本最古の歴史書と言われる古事記

現代にも絵本として語り継がれている「ヤマタノオロチ」や「因幡のシロウサギ」も古事記に収録されている話である

 

古事記は奈良時代の初め712年に完成した

その当時の天皇であった天武天皇は
天皇家の歴史が正しく伝わっていないことを危惧して

このままでは天皇家や日本の国家の存続が危ぶまれるとして
古事記の執筆を決意した

 

昔から伝わる歴史の誤りを改め

正しい天皇家の歴史を後世に伝えるべく
古事記を作成するように命じた

この作業が行われたのが674〜677年頃ではないか…と言われている

 

そして、その作成を担ったのが
稗田阿礼(ひえだのあれ)と、太安万侶(おおのやすまろ)である

 

しかし、作業は想像以上に難航し

天武天皇は、その完成を待たずして

686年にこの世を去ってしまった

 

天武天皇の死によって

古事記の作成は、一旦中止することとなる

 

しかし711年の元明天皇の時代に作業が再開し
古事記が完成
一年後の712年1月28日に太安万侶によって献上された

 

古事記は上、中、下の3巻からなる

上巻は、天地開闢から神武天皇の誕生まで

中巻は、神武東征から応神天皇まで

下巻は、仁徳天皇から推古天皇まで
となっている

古事記は、神話やファンタジーと思う人も多いだろうが
天皇家サイドの見解としては、天皇家の真実の書
国をつくった当事者の家系であることを広く信憑性を持って認識してもらうことで、天皇家に対する信頼を揺るぎないものにする意図があったようにも思える

今の言葉を使えば、天皇家のブランディング戦略が古事記の作成なのかもしれない

 

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