宗教観の薄くなった現代では
とかく死に対するネガティブな感情が大きくなってきた
物質科学至上主義の世の中では
死は「無」であり「絶望」と捉えられることが多い
しかし、死は誰もが平等に訪れる避けられないものである
この世に誕生した時から人を含めて全ての生命体が死へのカウントダウンをスタートさせる
思想の違いや、哲学の違いなどで
その死への捉え方は大きく変わってくる
絶望の淵に立つもの
覚悟を決めるもの
残された家族や友人へ言葉を伝えるもの
悟りを開き受容するもの…
どのような心のあり方であったとしても
必ず訪れるものならば
穏やかに逝きたいと願うことも
人間としての欲求である
そして、その死の迎え方は
残されたもの達が残りの人生を生きていく上でも大きな影響を及ぼす
愛する人の死を受容するためには
先に旅立つ人間の哲学も大きく影響するからだ
満足した人生を送った人の人生の最期は
残されたもの達の後悔を少なくする
そして、その残されたもの達の想いを
時間をかけて消化させていく意味でも
お墓の存在が役立つことも多い
お墓の意味は多々あれど
残されたもの達が、故人の死を消化させる時間と向き合うために
有形の存在が、とても癒されることになるのは
否定しがたい事実なのである
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