人が死を迎えるにあたって
日本人の宗教や、歴史や文化は切っても切り離せないものになっている
日常生活の中で、宗教観などを意識することはなくても
長い歴史の中で、変化は多々あれど
司祭の習慣は、人生の節目で誰もが関わることになってくる
現代は、比較的その習慣も、あくまでも習慣として行うことが多く
その思想や歴史に触れる機会も少なくなってきているように感じる
しかし、この習慣が現代のような形になったのにも理由があり
なにかしらの役割を持っていることは否定できない
それは、思想を深く考える機会が少なくなったとしても…だ
この思想などには、深い意味があり
それは、人が幸せに暮らすヒントだったり
人が生きていく上での、本来の意味を見いだすことにも役立っている
先人の深い知恵と教えがあり
それが、ブラッシュアップされて、現代へ、次世代へと脈々と受け継がれていくことへの責務が私達に問われている
今、少しずつ日本古来の考えや風習が見直されてきている
日本の心は、実はストレス社会で生きる私達への
解決のメッセージも含まれているようにも思う
武士道が脚光を浴びたり
日本文化が見直されたり…
その全ての過程が、私達の生きる意味への回答にもなっている
その中でも、死生観…というもの、特に「死」に関しては
人々が長年に渡り、何かしらの解決を求める事柄ではないだろうか
「死」に関する精神的な学問や教えは
誰もが向かえる局面への、恐怖や疑問の解決の糸口になってくる
私達の先祖である人々が、どのような過程で
それらを解決してきたのかを紐解く作業は
安心と安らぎをもたらすことも多い
そして、他国と比較しても
その思想や美学は
非常に効率的であり、無駄がなく、スマートで、つまるところ真理である
この殺伐とした現代社会において
日本の美学や心を見直すことは
大きな収穫があることは、間違いないように感じるのである
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