その昔、家は長男が継ぎ
娘や、次男以下の息子たちは家を出て新しい家を作っていた
それが、経済成長と都市化が進むことで
長男も家から出ることになり
高齢となった親は老後の介護を求めて子どもの住む都市へと移動した
それに伴い、親が守っていたお墓も移動を余儀なくされていったのである
このように都市型共同墓所は
地縁、血縁による地域共同体からに人間の離脱、お墓からの離脱の中で
お墓の流動化や無縁化、個人化へと移行していったのである
人々が、地域からの強いつながりから離れて
個々に合った生き方を選択していく上で、お墓のありかたも変わっていったのである
個人の自由が叶えやすい世の中になったことで
人々は、地縁や血縁の繋がりやしがらみから脱却することになった
これは、物理的な脱却だけではなく
精神的にも脱却していくことになったのではないだろうか…
死後、人の世話になることを避け
散骨…という方法も生まれてきた
先祖の繋がりも、子孫への繋がりをも避けることは
すなわち、全てを自分の責任で完結させる…
人に迷惑をかけない…という考え方に繋がってきているように見受けられる
自分自身の体なのだから、死後の行く先も自分で決める
…ということは、自分の繋がりを否定する考え方にも見えてくる
昨今、自分の存在意義に疑問を持つ人が増えている一方で
その存在を自分の裁量でき決める考えが、当たり前のようになってきている
「限られた命だから、好きな物を食べて、好きなように生きていく」
そこには、仏教の輪廻転生も、因果応報の考えも排除され
死=無
という考え方
死んだら、何もかも終わりだから
好きに生きて何が悪い…という、単独的な考えが
物質科学至上主義の世の中では、当たり前になってきている
そもそも仏教の考えでは
肉体は借り物であり
死後は、その肉体を自然に戻さなければならない
それゆえに、「自分体は、自分の好きに使っていい」という考えには至らない
不徳が、子孫に影響を受けることを考えると
自分の代だけの問題ではなくなるので
その行いには細心の注意を払わなければならない
そのような考え方が基盤となり
地縁、血縁の絆が深まり
自分の代だけで物事の決着をつける考え方にはなっていなかった
このような、現代社会のライフスタイルの変化が
お墓や、地縁、血縁の考え方も変え
人生観を変えていっていることは否めないだろう
何が正しいのか…という議論はここでは控えるが
ライフスタイルの変化と思考の変化が
どのような結果になっているのかは冷静に考えていかなければならない問題である