さて、今回は各宗派に見られるお墓の特徴を書き記してみようと思います。既に書いてきたように、宗派にはそれぞれ、主眼とする教えがありますので、当然、お墓にもその教えが様々な形で反映されています。なので、それぞれの宗派の教えも改めて書きながら、お墓について書いていきたいと思います。
(一)天台宗のお墓
伝教大師最澄によって開かれた天台宗は、先にも述べたように、総合的な仏教修行を目指した宗派で、仏教の本来の目的である自己の解脱を求める修行をおこなうと共に、南都仏教への対抗心もあったのでしょう、学問的な分野にも力を注いでいました。その中でも法華経と浄土教が重要な位置を占めており、「朝法華夕念仏」という言葉があるほどです。 いわゆる鎌倉仏教とひと括りにされる宗派は、ほぼ、この天台宗から生まれた宗派で、それはつまり、鎌倉仏教のお墓にも大きな影響があるということになります。
天台宗の本尊は「釈迦如来」「阿弥陀如来」「薬師如来」「大日如来」などですが、お墓の棹石に梵字(種子)を入れる場合は、阿弥陀如来を意味する「キリーク」か、大日如来を意味する「ア」を入れます。棹石正面には「○○家之墓」と彫らず、「南無阿弥陀仏」と入れることもあります。 天台宗では『法華経』を最高の教えとしています。その法華経には「仏塔を造り、供養すると無量の功徳がある」と何度も書かれているといいます。天台宗の良源という僧が、お墓として石塔婆をはじめて作らせたということですが、これは法華経の教えに基づいた行為だと言えるでしょう。その後、支配階級のお墓を中心に、天台宗のお墓には「宝篋印塔」が建てられるようになります。 先に述べたように、天台宗は、今の私たちのほとんどが属している、鎌倉仏教の元になった宗派です。それはつまり、各宗派のお墓も、この天台宗のスタイルが元となっているということを意味します。
(二)真言宗のお墓
真言宗の最終目的は、即身成仏、つまり現世において成仏することにありました。そのため、空海自身を含めて、非常に現実を肯定する考えが強かったように感じます。 ところが時代は下り、平安末期になると浄土教の教えが貴賤を問わず広まります。この時代の風潮に応じて、真言宗総本山の高野山にも「真言念仏」の集団が数多く生まれます(高野聖)。その中で現れた、真言宗中興の祖ともいわれる覚鑁上人は、日本のお墓のスタイルに多大な影響を与えました。すなわち「五輪塔」です。覚鑁上人は五輪塔を「成仏と往生を表現する」という基本コンセプトを構築したのですが、この考え方は、日本の全ての仏教的なお墓の基本となり、その形は「塔婆供養」に使われる「板塔婆」として現代にまで伝わっています。また、江戸時代頃までは、お墓といえば五輪塔を意味するほどに普及していました。 棹石に梵字を入れる場合は、本尊の大日如来を表す「ア」を入れ、棹石に、お題目の「南無大師遍照金剛」と入れる場合もあります。
(三)浄土宗のお墓
鎌倉仏教の先駆けとも言える浄土宗は、その当時、世間に流行していた浄土教を受けて生まれました。 余談になりますが、インドでは「八万四千の法門」と言われるほど、仏教には多くの教えがあります。その中のたったひとつの教えだけを取り出して「これだけでいい」と言いきったのが、法然をはじめとする鎌倉仏教の創始者達です。これは、世界の仏教史の中でも大変画期的なできことといえます。
さて、浄土宗の宗旨は、人が亡くなって極楽往生することにあるため、伝統的に葬墓に熱心で、組織的に葬墓の習慣を民衆に広めていきました。その元になっているのは、天台宗と真言宗のお墓です。 具体的には、卒塔婆供養や五輪塔を取り入れ、棹石に梵字を入れる場合は阿弥陀仏を表す「キリーク」を入れます。また、棹石には「南無阿弥陀仏」「倶会一処」の言葉を入れる場合もあります。
(四)禅宗のお墓
禅宗は、座禅によって、人には本来、仏と同じ本質があることを自覚し、それぞれがお釈迦様と同じ悟りを得ようとする教えです。 禅宗が日本の葬墓に与えた影響は小さくありません。中国の禅宗寺院には「清規」と呼ばれる僧堂の生活規則がありましたが、この中の葬儀・法要に関する規則が、禅宗のみならず、他の宗派にも取り入れられました。また、「位牌」を日本に伝えたのも禅宗です。
禅宗のお墓には五輪塔を建てる場合もあります。棹石には「円相」という「○」を入れます。これは完全なる悟りの境地を表したもので、すなわち成仏したことを意味します。また、棹石正面に「南無釈迦牟尼仏」といれることもあります。
(五)浄土真宗のお墓
「門徒もの知らず」という言葉があります。これはどういうことかというと、門徒、つまり浄土真宗は他の宗派とはかなり違った習慣や考え方があることを示しているのです。 よく指摘されるのは、「卒塔婆供養をしない」「戒名がない」「仏壇には位牌をおかず法名軸をかける」「法名には院殿号・道号・霊位をつけない」「水子地蔵を建てない」「五輪塔を歓迎しない」「梵字・真言を使わない」などです。ただ、真宗のお寺さんが良く言う台詞に「気持ち」があるように、「思い」「信心」をとても大事にする宗派です。そのため、多くのスタイル対して寛容に思われます。 例えば、親鸞の死後、亡骸は京都東山で荼毘に付されましたが、埋骨跡には五輪塔が立ちました。そのお墓を覆う廟堂が建てられ、このお堂が本願寺の発祥なのです。
(六)日蓮宗のお墓
日蓮宗と言えば「南無妙法蓮華経」というお題目が連想されるほどに、このお題目は日蓮宗と深く関わっています。それは法華経の教えを凝縮した「南無妙法蓮華経」を唱えること、同時に生死に関わらず「南無妙法蓮華経」を聞くことによって、「即身成仏」し「霊山浄土」へ「往詣」する事ができると教えられているからです。 日蓮のお墓に対する教えをまとめると、墓前でお題目を唱えることによって、その功徳を亡き人に振り向けて即身成仏させ、亡き人の菩提を弔い、霊山浄土に往詣させるということになると思われます。そのためには、まずお墓がなければなりません。日蓮自身も、自分が死んだ際には身延山に墓を建てて欲しいと遺言したように、お墓を建てることに対しては、とても重要視しています。
さて、日蓮宗のお墓の特徴は「題目塔」です。棹石に「南無妙法蓮華経」と「ヒゲ題目」と呼ばれる独特な文字が入れられています。また棹石上部に「妙法」と入れる場合も多く見られます。また五輪塔には「妙法蓮華経」の五字を入れたものもよく見られます。
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