Home > お墓について | コラム > お墓の観念の変化

お墓の観念の変化

何度か、お墓についての記事を書いているが
この昔と現在のお墓に対する意識の変化が
内容をより複雑にしているように思う

昔は「先祖代々の墓」として、そこに代々入っていくのが普通であった
しかし現在は「◯◯家の墓」というものを建て
現在から未来の家族に対して意識が向いているように感じる

過去の墓から未来の墓へ
この意識の違いも大きくお墓の概念を変えるものである

お墓は、先祖を奉り敬うものから
家族であることの証明へと意識が変化し

そのことにより、お墓を語る上で
「家族とはなにか?」という意識を確認する必要がでてくる

三世代家族が普通だった時代から核家族や一人暮らしなど
家族の形態も変わってきている
そんな中でお墓を共にすることは
紛れも無い家族の証明であろう

近年では、ペットも家族だから一緒のお墓に入りたいとか

夫の死後、夫とお墓まで一緒なのは耐えられないから
個人墓を購入し、自分の死後はコチラにして欲しいという人とか

お墓は、その人の感情的な部分も左右するものへと変化してきている

昔のお墓は、代々そのお墓に自動的に入っていくもので
そこには個々の感情的な事情は配慮されることはなかった

基本的に現代は、結婚を中心とした家族を形成している関係上
そのスタートラインが情から入っているので
その延長線上にあるお墓の観念も情に向けられるのかもしれない

子どもが家を継ぐとか
家族を直系で伝承していく概念も薄くなってきていて

その二世代を中心にした核家族は
その子ども達が、また結婚することにより
一旦リセットされ、また情で繋がる家族を形成する…となる

世代を線で結ぶ意識より、点で終了して情で判断する意識
このような変化があって
お墓は、昔のまま…というわけにはいかないだろう

子どもの情(感情)を大切にするあまり
自分の死後、先祖として崇拝してもらい
お墓を維持してもらおう…という意識が薄くなってきている

そして、お墓は「先祖供養」という大きな柱から
自分の死後設計という意識に変化しているのである

Home > お墓について | コラム > お墓の観念の変化

 

このページのTOPに戻る