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真理が変化する理由

世界には様々な宗教が存在する

宗教には多くの種類が存在するために

その数だけ真理が存在するように錯覚する

しかし、真理とは絶対無二の存在であるから

本当は、一つしか存在しないはずなのである

よくよく調べていくと

大きな宗教では、源流は一つのような感じもする

その大きな流れから、無数に枝分かれして

とうとう、その存在自体の真逆の解釈まで発生してくる

なぜ、そのようなことが起こるのだろうか?

仏教やチベット密教の起源をたどると

かなり厳しい修行や、功徳と積み上げなどが要求されていて

それをかなり高いレベルでクリアしないと

成仏や解脱はできないことになっている

仏教では、六道輪廻の考え方もあり

厳しい戒律を守らなければ、来世は地獄に落ちる可能性も示唆される

普通に生きていては、人間に生まれ変わる可能性も少ない

しかし、現在日本に伝わる仏教では

現世でも行い如何に関わらず

誰でも、供養などを行うことによって

成仏できるような仕組み(?)になっている

果たしてこれは正しいことなのか?

これが真理なのだろうか?

転生を真理とするならば

人は来世も現状か、現状よりも良い環境に転生したいと考えるだろう

しかし、その修行が、煩悩を捨て、厳しい状況の中に身を置き

それに耐え続けなければならないだとしたら

よい転生をあきらめるか

もしくは、自分に少し楽な風向きになるように

信じている真理そのものを歪ませてしまう可能性がある

正しくないのはイヤだが、欲望を捨てることもしたくない…

であれば、解釈を変えて少しでも楽に成仏したい…と考えるのは

人間らしいことなのかもしれない

そして、自分を肯定するために

多くの都合の良い解釈が生まれてきたのかもしれない

しかし楽をしようとする教えには

矛盾が多い

真理とは、矛盾が無いことが絶対条件であるはずなのに…

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