現在でも、人が死を迎えると
葬儀を行い
一般的に法事と呼ばれる追善供養を定期的な年数を経て行われている
この追善供養は普通
一周忌、三回忌、七回忌、十三回忌、十七回忌、二十五回忌、二十七回忌、五十回忌、百回忌
と、なっている
回数を増すごとに、その規模は縮小していく傾向が強いが
近親者が存命の限り、行われる場合が多いようだ
では、なぜこのような数字になったのかを
知っているだろうか?
古代中国では、一周忌を「小祥」、三回忌を「大祥」とよび
死者の霊が、祖霊の仲間入りをするということで
めでたい祭とされていた
「祥月命日」という場合の「祥」も、この「小祥」「大祥」に由来している
つまり、百日を過ぎた年忌は全て、めでたい行事なので「祥月命日」という
そして日本での十三仏信仰では
十王信仰の十仏事にならって、あらたに七回忌、十三回忌、三十三回忌の三仏事を加えたものが
室町時代に生まれたといわれている
安易に、年忌を追加するこうした傾向は
その後の江戸時代になってどんどん増えていき
十七回忌、二十五回忌、二十七回忌、五十回忌、百回忌となり
これが現代でも行われているものえある
これらの数字には一定の法則があれども
意味など特にない、言葉遊びのようなもの
これが、江戸時代の仏教の大問題である
江戸幕府がキリシタンと日蓮宗・不受不施派を禁圧するために設けた「宗門改め」や「寺壇」制度ができあがると
「寺請け」と言って、葬祭供養を行う壇那寺を通じて
檀家がキリシタンや不受不施派でないことを証明させる制度が
幕府の養護の元、半永久的に離壇できない関係を確立していく
こうした保護の元
完全に守られた制度ができあがると
人は、欲に走り腐敗し、堕落していく
それは、宗教家も例外ではなく
生きている人と、死んだ人の管理を独占した寺の坊さんは
図に乗って金儲けのために、非道なことをやり始める
幕府の名の元、掟を作り
回忌を増やして、檀家から絞れるだけ、絞り取ったのである
しかし、五十回忌だけは神道の風習ではないか…ともいわれている
根拠の無い、追善供養は
残されたものの気持ちで行うだけでも十分なことである
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