以前に道教と儒教の違いについて書いたが
このキーワードは奥深く
様々な解釈がなされる場合も多いので
研究したり調べたりする人が少なくない
宗教でなくとも
研究には、常に比較考察が行なわれ
比較があるから、その様相が見えてくるものも多い
そして、今回のテーマでもある
密教と顕教についても多くの人が調べて学んでいる分野である
空海は、密教と顕教の違いについて
「弁顕密二教論」という書物を執筆している
その中で、密教と顕教について
多角的に厳密な定義づけがなされているが
その内容をここで書いてしまうと
膨大な量になってしまうので
おおまかな解釈のみに留めておく
密教とは顕教に対する言葉である
顕教は常に密教の立場から使われる
顕教とは、お釈迦様が80年の生涯の中で
説かれた教えのことであり
「お釈迦様が世に顕した教え」
という意味である
80年の生涯と言えども、お釈迦様の死後も
多くの教えが追加されている
しかし、お釈迦様の教えは奥深く
とても言葉では言い尽くせない内容も多く存在していた
それは、語ったとしても一般の人々には理解されない内容も多いので
語らずにいた内容が隠されたままになっていた……
という解釈が、7世紀ころのインドで巻き起こったのである
その内容はあまりにも深く
言葉で理解できないものなので
直感や瞑想などによってでしか理解できないものとされていた
言葉にできないから、記録として残す場合には
その代わりとしてシンボル的なものを使用していたのである
それには、図像、文字、ダラニ、法具などが使われている
このように、表に顕れずに
「秘密になっていた教え」を「密教」という
その内容は、最終的には
即身成仏にことだが
これは、お釈迦様の時代の
「阿羅漢の果てしない未来に成仏する」
という考えとは真逆の
「この現実の世界で、この身のまま成仏する」
という画期的な思想から生まれたものなのである
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