今回は、お盆ということもあり
私の個人的な話で…
私は毎年、お盆になると
大きな霊園にて、お仕事をさせていただいている
このようなコラムを書く機会をいただいていることもあり
様々なことに思いをはせながら
お墓参りに来る人々を見ている
お墓参り…供養をする目的は
このコラムでも何度も書いているが
その目的を深く理解しなくても
家族で集い、世代が揃い、一緒に手を合わせることは
大変大きな意味があると思われる
お墓参りをすることは
自分ひとりで生きてはいないことを
意識上においても、潜在意識の中でも自覚することであり
先祖に感謝をし、子孫に残せるものを考える機会となる
宗教を超え、宗派を超え
自分の生きる過程が、人の支えの上に成り立っていることを思えば
日常生活の中における自分の立ち位置が自然と見えてきて
大袈裟かもしれないが自分の生きる道しるべも見えてくるような気がする
ある人が言った
「うちの息子は、自分勝手で、自分ひとりで生きていけるようなことを言い、周囲に対して感謝の気持ちがないように感じる。どしたらいいだろうか…」
と
若い頃には、よくある感情ではあるが
年を重ねるごとに、周囲に対する感謝が芽生えてくるものであるが
一概に皆が、そのような感情を持つとは限らない
かといって、「感謝をするように」と命令して
その感情が得られるものでもない
逆に押し付ければ、押し付けるほど、反発するのが常である
感謝をするには、先に感謝をされる環境に立つのが早い
と、何かに書いてあった
感謝を知らない人間は、感謝をされる喜びをしらない場合が多い
感謝を重ね、感動を重ね、愛する人々と感情を共有する思いを知る
その素晴しさを後世に伝え
今いる自分と、環境に感謝する機会が年に何度か存在し
先祖に感謝する…
家族が、この世に存在していてもいなくても
自分の存在が真実であることを伝えてくれるのは
結局、先祖の存在なのだと
お盆に思う機会がある人は幸せな人である
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