Home > コラム | 仏教のお話 > 第七回 「仏教のお話 その3」・・(平成18年9月1日)

第七回 「仏教のお話 その3」・・(平成18年9月1日)

前回前々回と、日本と中国の仏教について、本当にざっとお話ししました。その中でたびたび触れたことですが、今、日本に伝わっている仏教というのは、古代インドで広まった仏教、もっと言うとお釈迦様本人が教え広めた仏教とは、大きく変化しています。
  それが正しいとか間違っているとか、あるいは良い悪いという議論は、個人的には的を外れた論議だと思っています。

 ベースボールは、日本で独自に発達して野球というスポーツになった。

 WBC開催当時には、こんな意見もありましたが、仏教もまさに同様で、その国の文化的な背景に影響されて、理解も解釈も変わるのが当然だと思います。

 さて、仏教とはどんな宗教なのか?
  宗派学派によって、解釈の細かな異同はあると思われますが、最終的な目的を「成仏(仏と成る)」ことに置いた宗教であると言えるのではないでしょうか。「輪廻」という人間の苦しみから解放され(解脱)、「悟り」を得ることが目的と言えます。他ならぬお釈迦様とて、悟りを得て成仏することを目指しておりました。
  原始仏教は、悟りを得たお釈迦様の言葉を、弟子が書き取ったり記憶したりして後世に伝わっていったのが始まりと言えるでしょう。そして代々、言葉が継承される中で、様々な解釈が加えられていき、今の「お経」が成立しました。

 仏教には大きく二つの流れがあります。
  ひとつは、自身の成仏を目指して修行する事に主眼を置く「小乗仏教」で、タイを中心とした東南アジアで普及しました。そしてもうひとつは、日本を含めた東北アジアで普及した「大乗仏教」があります。
  小乗仏教に対して大乗仏教は、自身の成仏だけではなく、自分以外の他者の成仏も願う仏教です。もう少し正確に言えば「まず他者の成仏を願い、その上で自身の成仏を目指す」ということになります。
  私たちは仏教の葬式の際に、死者に対して哀悼の意を表すると共に、(宗派によって考え方は違いますが)死者の成仏を願っています。また、四十九日法要までの七日ごとの法要を、死者の成仏を閻魔様他それぞれの「判事」に対してお願いする儀式と位置づける宗派もあります。
  こういったところに、大乗仏教の「自利利他」の考えが反映されているのではないでしょうか。

 大乗仏教の終着地とも言える日本では、仏教伝来以来、多くの宗派が生まれ、今に受け継がれています。
  奈良時代に伝えられた仏教は学問的な研究がなされ、それぞれの研究分野に応じて、主だったとものとして、いわゆる南都六宗(三論・成実・法相・倶舎・華厳・律)に分かれ、現在に至るまで葬墓にほとんど関わることなく、寺院も学舎として機能しています。
  平安時代になると、遣唐使によって二人の偉大な僧侶が新しい仏教を日本に持ち帰ります。言うまでもなく、弘法大師空海の開いた真言宗と、伝教大師最澄の開いた天台宗がそれです。個人としての知名度は、各地に様々な伝説の残る空海の方が上かも知れませんが、後世の仏教に与えた影響では最澄に分があるのではないか、と思います。
  真言宗は、当時唐に伝えられたばかりの最新のインド仏教(密教)を受け継ぎ、現世に於いて成仏することを目的としておりました。これに対し、天台宗は「法華経」を最高の教えとしながら、総合的な仏教大系の構築を目指しました。このため、天台宗には新しい仏教の考えを受け入れ、発展させる素地がありました。こうした宗派の性格が、後の鎌倉仏教と呼ばれる、新しい仏教運動に深く関わりを持つことになります。
  天台宗から生まれた鎌倉仏教の宗派には、主に以下のようなものがあります。
    融通念仏宗(良忍)
    浄土宗(法然)
    臨済宗(栄西)
    浄土真宗(親鸞)
    曹洞宗(道元)
    日蓮宗(日蓮)
    時宗(一遍)
  これらの宗派の祖師達に共通する立宗の動機は、いずれも天台宗という総合仏教の中から、ひとつの教えだけを取り出した、という点にあります。
  「念仏」「座禅」「法華経」といったキーワードを、それぞれの祖師が自身にとっても、また多くの人々にとっても、解脱に至る斎場の実践法と考えて、それに専念したのです。

 空海・最澄の開いた平安仏教以後の各宗派は、現在に至るまで、
私たちの葬墓に関わりを持っています。それぞれの宗派に特徴的な思想は、当然、それぞれの葬墓にも特徴的な形で表現されています。
  次回は、各宗派のお墓に見られる特徴をお話ししたいと思います。

Home > コラム | 仏教のお話 > 第七回 「仏教のお話 その3」・・(平成18年9月1日)

 

このページのTOPに戻る