現在、日本の仏教には様々な宗派があることは周知の事実である
そもそも、どの宗教においても
宗派の存在しない宗教などない
宗派は、それぞれが
「自分こそが真の継承者である」
と主張することから始まる
また、そうした純粋な信仰心ではなく
権力争いや、対立抗争から派生したものも少なくない
日本の仏教宗派内での分派も
そうした過程を経て
さまざまな宗派へと分かれて現在に至っている
日本に本格的な宗派ができたのは
中国仏教の学派的な宗派をそのまま用いたものは始まりとなっている
奈良時代に伝わった代表的な六派を「南都六宗」という
その六派は「三論宗」「成実宗」「法相宗」「倶舎宗」「華厳宗」「律宗」
となっている
次に平安時代となった日本は
二人の高僧を輩出することとなる
その二人は、同じ遣唐使の船団に乗り合わせて中国の唐へ渡り
帰国後に、それぞれに新しい宗派を開いた
その日本の宗教改革とも呼べる二人の高僧の登場は
奈良時代の学派的な仏教宗派と決別する圧倒的なパワーを持ち合わせ
新しい仏教の考えを提案した
その二人とは、最澄と空海である
最澄は天台宗を、空海は真言宗を開いた
よく比較対照に上げられる宗派であるが
この二派には決定的な違いがある
天台宗は、法華経を最高の教えとしながら総合仏教を目指した
真言宗は、天才的な空海によって
最初から完成に近い密教の実践と
圧倒的な説得力の理論を元に「真言密教」の教えに限られていた
その結果、天台宗からは最澄以降も
さまざまな優れた宗教家によって新しい教えが
次々と生み出されていった
一方、真言宗は、あまりにも完成されすぎた密教大系だったので
新たな展開を生み出す余地がなく
空海から300年も経った頃に
「覚鑁上人」という人物が浄土と真言密教を融合させた真言念仏を展開し
「中興の祖」と言われたくらいで
天台宗のように各分野で目覚しい活躍をした人物を輩出することができなかった
それほどに、真言宗はアレンジできないほどに
完成された宗派だったのである