功徳とは、様々な解釈があるが
仏教の中では、どうのように解釈されているのであろうか
「仏教学辞典」によると
「功徳」とは、「勝れた結果を招く功能(=能力)が善行行為に徳として具わっている」
と書かれている
簡単にいうと「良い結果を生む元になる行い」ということである
良い行いをすると、その情報が蓄積され
良い結果として返ってくるという因果応報の考えである
この功徳を身に付ける最善の方法が
仏教の中では、供養することであると言われている
しかし、これだけ多くの仏教の解釈が発生していると
その供養ですら、様々な解釈が発生してくる
この場合は「岩波仏教辞典」の解釈を引用する
まず、供養とは
● 仏・法・僧の三宝や父母・師長・亡者などに香華・灯明・飲食・資材などの物を捧げること
● 死者の冥福を祈る<追善供養>やそのために卒塔婆をたてる<塔婆供養>、餓鬼に食物を施す<施餓鬼供養>…その他、<開眼供養><経供養>などがある
どのような供養であれ、死者に対する供養が、功徳を得るための最善の方法であると認識できていればいいのである
ここで、供養に用いられる物を紹介しておく
「六種供養」と呼ばれていて
その六つは「水(=閼伽)・塗香・花(=花曼)・焼香・飲食・灯明」となっている
ただし、現代は、塗香はほとんど用いることはない
これらは、私達がお墓参りをする時に
今でも、よく用いられているものである
その中でも、花に関しては歴史が古く
死者に花を捧げることは
六万年以上も前から行なわれていたという文献もある
死者の家族は追善供養によってたくさんの功徳を積み
その功徳を、今度は亡き人に幸せのためにふり向ける
これが、回向である
まず、人が亡くなったなら
お葬式をして、お坊さんが修行で身につけた功徳を亡くなった人へとさし向け
死者は、仏様となり、浄土へ往生させる
そして中陰の四十九日間は、お坊さんに何度か読経してもらい
供養のお手伝いをしてもらう
そのうち、家族だけの追善供養へと徐々に移行していく
しかし、ここで一つ疑問がでる
お坊さんの読経により、死者が仏様となり浄土を往生できたなら
なにも、追善供養までする必要はないのではないか?…と
それは、民俗学でいう「死霊の浄化」の考え方と深く結びついているのである