私達は神社において
何の抵抗もなく
何の疑問もなく
神様に対して、様々な願いごとをする
また、村をあげてお祭をし
一年の豊作や豊漁を願い
平穏な日々が送れたことに感謝し
翌年もまた、同じ願いを繰り返す
人々からお祭されているのが
神様や氏神様や御先祖様…ということになってくるのだが
お祭されている側の神様なども
その願いごとを聞き届けてくれることになっている
古代中国でも
この仕組みはあるのだが
日本はご存知のように
おまつりすることで
人々はさまざまな祈願をし
供養してもらうかわりに
御先祖様がそのお返し(願いを叶える)という
「神と人との交換構造」が出来上がっている
では、お墓や仏壇の前で
御先祖様を供養する仏教では
この交換構造が成り立つのだろうか?
このことについては
インドの大乗仏教の論理だけでは
理屈が通らないことが多くある
しかし、お釈迦様のお墓である「ストゥーパ」を礼拝供養すると
長い間ご利益があり、死後に良いところ(天の世界)に生まれる
という「仏と人との交換」が見られる
だが、これが中国や日本の庶民仏教の追善供養になると
神社での神頼みと同じ状況になってくる
例えば、私たちは
何かに挑戦しようとしたり
困難に立ち向かう状況になった時は
お墓や仏壇の前で
亡き身内や、御先祖様に向かって
ご加護をお願いする
つまり、特定の宗教を信仰している場合を除いては
私達は、仏壇にまつられた御本尊様にではなく
無意識のうちに、亡くなった家族にお祈りをし、願いごとをしている
仏壇の前では「朝の祈願、夕べの感謝」といって
朝には家族の無事を願い
夕べには家族の一日が平穏無事だったことを感謝して手を合わせる
人々は、お墓や仏壇の前で、家族や個人の些細な事から命に関わる事まで
具体的で「現世利益」的な願いを祈ると
ほとんどその願い事は叶えられる
例え、その願い事が叶えられなくても
誰も御先祖様をうらんだりすることはない
つまり、仏教においても「仏と人の交換構造」が成り立っているのだ
しかし、これでは「神と人の交換構造」の焼きなおしに過ぎない
仏教は、この交換構造を
「供養による功徳の廻向」という考え方をもとにして
交換構造を創り上げていくことになる
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