こちらで何度か説明している六道輪廻の考え方だか
これも、庶民の捉え方を無視することはできない
『中国思想史』を読みといていくと
中国仏教では、かなりはやくから
「六道輪廻するのは霊魂である」と考えられていたことがわかる
中国人の霊魂観は、今から少なくとも3000年以上も前からあったと
確認することができる
この中国の霊魂観が日本に大きな影響を与えていたことも確かである
日本が影響を受けたと思われる時代は、文献などから
特に飛鳥・奈良時代ではないかと考えられている
そんなことから日本もまた
「霊魂が六道輪廻する」という考え方をそのまま引き継いでいたのだろう
この場合は、庶民仏教というよりは
奈良時代の貴族や豪族などが写経や造仏などに死者の「霊」・「先霊」という表現を使って
さまざまな供養をしていたことが確認できる
おそらくこうした習慣が庶民にもなんらかの影響を与えたと思われる
また柳田國男氏の著書にも書かれているように
「人は死後、死霊となり、やがて祖霊へと浄化して神(=氏神様)となる」
という日本固有の信仰としての「霊魂観」を文献の上でどこまでさかのぼって確かめられるかは、とても難しい問題になってくる
もしもこれが日本の昔からの霊魂観であったとするならば
日本人は、古くから「霊魂は不滅なもの」と考えられてきたことになる
ちなみに『古事記』や『万葉集』で「たま」という観念があったことがわかる
この「たま」は「魂」「玉」「霊」「珠」などの漢字が当てられていて
いずれも「たま」と読ませている
日本に昔からこのように霊魂の考えが定着していたとするならば
朝鮮半島や、中国から
「霊魂が六道輪廻する」という考えかたが入ってきたとしても
スムーズに受け入れられたのではないかと思われる
霊魂は、永久不滅のものであり
その魂がどこに行き、何となるのかの違いだけで
違和感もなく、理解できたのではないだろうか…
- Newer: 神と人との交換構造と追善供養
- Older: 涅槃の意味