弘法大師・空海は25歳の時「聾瞽指帰」を執筆している
これは空海自身の自伝的な内容も多く含まれているが
儒教・道教・仏教の三つの教えの特徴を説いた思想書である
その書の最後に空海は次のような意味の言葉を残している
「儒教も、老荘も現世のことばかりに特化して説かれていて、来世の果報を願ってはいない」と
儒教・道教と仏教の違いは様々あるが
大きな違いといえば、仏教は来世があると想定されていることだろう
その違いによって大きな影響を受けた中国の例がある
参考は、元大阪大学名誉教授の森三樹三郎氏の「中国思想史」による
六朝人は、仏教思想のうち、どのような部分に惹かれたのであろうか
(六朝時代は220~589年の約370年間である)
六朝人の知識人達は、儒教を離れての老荘思想を学ぶようになる
この老荘思想と仏教の哲学は、根本的に共通項が多く見られた
仏教の思想が「空」であるのに対して
老荘の思想が「無」であるということを考えてもわかるだろう
むろん両者は完全に同じものとは言えないが
少なくとも「有」を否定から出発する思想…という点では同じだろう
六朝人は、なじみの深い老荘を通じて、仏教を理解しようとしたのは
ごく自然の成り行きであろう
このことから、六朝初期の仏教の教えは、老荘的な色合いの強いものになっていた
この老荘よりの仏教のことを「格義仏教」と呼んでいる
しかし、仏教に対する哲学的理解は
専門家である僧侶や、これに近い水準に達した知識人に限られていて
全体からすると、ごく少数のものであった
一般の知識人や民衆などは、この思想とは全く違った角度から仏教に触れていったのである
それこそが、仏教の「輪廻の説」である
輪廻説は、ご存知の方も多いように「生まれ変わり」のことである
人生はこの現世の一世だけではなく
生前の過去に無限の前世が存在し
死後の未来にも無限の来世が続くと考える説である
そしてこの「前世」「現世」「来世」の三世は
互いに無関係ではなく、前世の行為の善悪は現世の禍福をもたらし
現世の行為の善悪は、来世の禍福を招く…というものである
この三世を跨いで、因果応報の理が働くので
中国人は輪廻説のことを「三世」の説、または「賛成報応」の説と呼んでいた
従来の中国では、現世だけしか考えていなかったので
この仏教の輪廻説が世に広まった時は、大きな衝撃を受けたと伝えられている
そのことは『後漢紀』にも記されているので引用する
仏教の説くところによれば、人間は死んでも、その霊魂は滅びず、ふたたび新しい肉体に結びつく。その人間の生時に行った善悪は、死後の世に必ず報応を受ける。したがって仏教の尊ぶところは、善をおこない、道を修め、これによって霊魂を錬ってやめず、最後には無為の境地に入り、仏となることである。この様な仏教の生死報応の説い接した王公大臣は、みな恐怖の念をおぼえ、自失しないものはなかった。
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