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宗教行事の矛盾

一般的に「神道」という言葉はよく使われている

しかし、その詳しい内容について語れる人は少ないのではないだろうか?

それもそのはず、この「神道」という言葉には

多くのニュアンスが含まれ、人によって、その場面によって

言葉の意味が変わってくるのである

 

大きく解釈して「日本の伝統的な民族宗教」を呼ぶ一つとして定着している感じがある

しかしその概念はかなり曖昧なものとなっている

 

人によっては、「古代日本の神々に対する信仰である」と言い

また、ある人によっては明治維新に始まった「国家神道」を思い浮かべる人もいる

 

また、そのような解釈ではなく

「神道」を「仏教」「儒教」「道教」「キリスト教」などと並べて

一つの単独の宗教として位置づけようとする概念があった

 

しかし、みなさんもご存知のように

日本の宗教というものは

さまざまな宗教の概念が複雑に入り乱れていて

その宗教にしても単独で説明をすることは不可能である

行事によって、取り入れる宗教も概念も目的も違えば

その宗教自体の最終目的や教えは日常に反映しにくいのも事実である

 

神道は、とくに仏教との関わりが深く習合しており

神仏習合という現象をもたらしている

神、仏、菩薩が、まるで一セットのように扱われ

厳密な違いを語れる人も少ないだろう

宗教の習合だけではなく

一人の人間が複数の宗教を信仰する(日常に取り入れる)形態もみられ

このような現象をシンクレティズムと呼ぶ

 

近年は、このような日本の宗教におけるシンクレティズムをふまえた「神道」の研究が盛んに行なわれており

新しい神道論を展開している

現代では、またさらに様相が変化してきていて

葬儀には仏教、結婚式にはキリスト教会や神前で行なう…といった

シンクレティズムが当然のように蔓延している

 

宗教とは、ざっくりした解釈をすれば「真理の追究」だと思われる

自分の中に見出すことができていない真理を宗教によって学び

人生をより有意義に、そして学びが多く自己成長を実現し、それを次世代に繋いでいく…

その過程における人生の大切な節目に、己が信仰する宗教の価値観に則りながら執り行ない、価値を改めて認識するようになっている

 

しかし、一人の人間の中に宗教のシンクレティズムが発生してしまうと

価値や教えの整合性が取れなくなり

結果として、表面的な模倣だけが行なわれることとなる

それは、もはや「真理の追究」ではなくパフォーマンスと言っていいだろう

パフォーマンスは、信仰ではなく自己表現…すなわち「我欲の追求」という、どの宗教でも否定しがちな矛盾が生じることとなる

 

宗教のシンクレティズムがあることは否定しない

人類はそうやって、自分の生活様式や、その土地に合わせて習合させ、変化させてきたのだから

しかし、それはあくまでも理念を理解してのことである

パフォーマンス的な模倣をするならば、教えに対しても理解する努力が必要だろう

そうなれば、それはパフォーマンスではなく儀式となり

その人の人生の大きな支えとなるはずである

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