先日、祖母の一周忌が行なわれた
私の父は喪主であるため
両親は法要を取り仕切ることとなる
とても学びの多いものとなり
両親には感謝している
「法要」の本来の意味は
釈迦の教えを知ることである
現在の日本は
供養のことを表し
死者を弔う儀式全般を「法要」と呼ぶが
そちらは本来「追善供養」または、「追善法要」と呼ばれている
どこの家でもそうであると思うが
家族の死をきっかけに
疎遠ぎみの家族が揃い
法要をきっかけに、往来が頻繁となり
家族の大切さなどに気づかされたり
先祖を知る機会になったりもする
うちも例外ではなく
祖母の死をきっかけとして
20年ぶりに叔母と再会し
一周忌、三周忌があり
3年連続で会う機会をいただいた
これはまぎれもなく
祖母の死がなければ
無かったことであり
法要があることによって
親戚の交流が深まり
新しいキッカケが生まれるのである
故人も自分の死をきっかけに
家族がそろい
命が繋がっている様子を確認できることは
喜ばしいことなのであろう
故人を偲び
葬儀の時では、話せなかった話をし
自分の遺伝子の確認をして
自分の存在を先祖に感謝することにより
日々、心穏やかに日常を送ることができるのかもしれない
小学生の女の子が言った
「どうして、何度もお参りをするの?」
子どもにしてみれば
無駄な作業に思われる法要も
親族が集い、個々に何かしらの学びはあるならば
本来の意味での「法要」と言えるのかもしれない
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