その家の初代とは、知りうる限り一番古い血統-
との解釈もあるが
すばらしく業績を残した故人に対し、子孫が代々祭っていくことに決め
その人を「家の初代」と呼ぶことはめずらしいことではない
例えば家の次男か三男で、本来であれば家を継ぐ人間ではないのに
何かのめぐり合わせで大名に取り立てられ、勤めを果たし
結果として、相当の禄(給与)を受けた人物であった場合に
その者を家の初代として代々祭っていく場合などである
その場合、その親-つまり「御先祖」と呼ばれる人物の親は代数から消えるわけではなく
過去帳にも、その親の名は残り続けるわけで
お盆に帰ってくる「ほとけ様」の一人にはかわりはない
そのようなことから
昔は、「この子は、御先祖様になる素質がある」
などという、現代から考えると少し不謹慎な感もある言葉が存在していた
これは『死んでしまう』という意味ではなく
先に書いた、立派な業績を残し「家の初代」となりうる大物の素質があるという褒め言葉なのである
順番から言えば家の次期当主に決定しているものに使用されることはなく
次男以降の、本来であれば当主になる者ではないが
新しく家を成し、当主となる可能性の高い者に使われていた
そして、この言葉は度々本人の目標として発せられる場合もあった
「私は、御先祖様になりたい」-
御先祖様にするかどうかは、その人の死後
子孫達が「立派な人なので、この人を初代として代々祭っていこう」と決めることなので
死んだ後までの目標を掲げて生きていく生き方は
現世の欲に目標を設定しがちな私達には見習うべき心がけのようにも思われる
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