この度の、東日本大震災では
東北地方を中心に大きな被害があり、今なお多くの方が行方不明となっており
被災地では復興に向けて、力強く生きていこうとする人々の姿が報道されている
そして、被災地以外の人々は
その被害の大きさに驚愕し
1ヶ月を経過した今も全国的に自粛ムードが漂い
各地では、花見を中止するなど
「被災地では大変なのに、自分ばかり楽しんでいるわけにはいかない…」
と、いった雰囲気が漂っている
一方では、その自粛ムードが経済活動に影響を及ぼし
まわりまわって、復興資金を圧迫する原因になりかねないとして
過剰な自粛を避け、被災地以外の人は
日常生活を送れることに感謝をして
経済活動を奨励する動きも出てきている
自粛は、日本人が同じ国に住む仲間として
その心情を理解し、自分自身の気持ちを少しでも近づける優しさである
その優しさは、先祖を大切にしてきた私達の
そして、人類はみな同じ先祖で繋がっているという意識の現われではないかと思う
この「自粛」は、仏教でいうところの「物忌み」と似ているであろうかと思う
「物忌み」は、幅広い意味で解釈されることが多いが
辞書で調べてみると代表される解釈は下記のようなものである
《三省堂 大辞林》
(1)祭事において神を迎えるために、一定期間飲食や行為を慎み、不浄を避けて心身を清浄に保つこと。斎戒。斎忌。
(2)占いや暦が凶であるときや夢見の悪いときなどに、家にこもって謹慎すること。
「御―と言ひてければ、人も通はず/源氏(東屋)」
(3) (2) のときにその標として柳の木の札や忍草などに「物忌」と書き、冠・簾に付けたもの。物忌みの札。
(4)昔、伊勢神宮をはじめ賀茂・春日・鹿島・香取などの諸大社で、忌みこもって神事にあたった童女・童男。
(5)不吉であるとして物事を忌み避けること。
とある。
この物忌みに関しては、門徒(浄土真宗の信者)が引き合いに出されることが多く
「門徒物知らず」という言葉は
門徒が、物忌みをしないことから
「門徒物忌み知らず」という言葉であったという説もある
現代では、あまり聞かれなくなった
「門徒物知らず」という言葉も解釈が様々で
他宗の人に言わせれば
「常識知らずで、決まりごとを行なわない」
という解釈にもなれば
門徒本人に言わせれば
「臨機応変に、対応するのが門徒のいいところ」
と、都合の良いように解釈している節もある
物忌みひとつでも、宗派や解釈によって様々である
自粛も、自分の心の赴く方向に
気持ちが、自分の納得のいく形で表現できれば良いのではないだろうか?