日本神話が物語るお墓の意味④
さて、再び「千引石」に話を戻します。
千引石は今日にいたるまで、日本人のお墓の形状に決定的な「概念」を植えつけた、と考えられます。
コンセプトや概念という言葉は、便利な割にいまひとつその意味がつかみにくい言葉ではありますが、ふつう「お墓の概念」と言えば、「多くのお墓に共通する(本質的な・基本的な)特徴や考え」となります。とにかく「日本人のお墓の形状に共通するもの」は、千引石によってその基本的な考え方がほぼ決まった、と思われます。
それは先に述べた「生きているときの痕跡をお墓の形状に持ち込まない・残さない」ということです。
千引石は自然石ですが、自然そのままの姿の石(岩・磐など)は、神話の祖先たちが「石の霊力」発見した最初のものできた。
そして「事戸を度し」た瞬間から死者は生きた人間と異なる他界(あの世)に属する者となります。つまり「千引石」の「道反」や「塞ぎる」の霊力によって、この世とは厳格に異なった世界に所属する者となった以上、そこは生きた人間は入り込む余地がありません。
このような意味の「シンボル」であれば当然、日本人のお墓の形状は、抽象的な一定の共通性を持って作られるようになるはずです。しかしだからといってお墓の形状がいつの時代にも同じ、というものではありません。お墓の形状は時代によって意味や価値が異なるに伴って、流行り廃れがあり、さまざまに変化します。
つまり、千引石は「お墓の形状」を決定付けたのではなく、「お墓の形状の考え方」を日本人に方向付けたのです。
ところが江戸時代末期から、墓石の中心となる棹石正面の上段に「家紋」を入れるようになりました。本来ここには本尊仏のシンボル「種子(梵字・古代サンスクリット文字)」を入れます。それが武家の家紋や商家の商標を墓石に堂々と入れるようになったのです。
少し大げさに表現すると、これは日本のお墓文化史の一大事件で、大変な変化です。家紋というこの世の「生」そのものをお墓の世界まで持ち込むようになったからです。
「戒名(法名)」は生前の本名がほとんど残りません。そして「俗名」は棹石の側面に刻字されます。これは西洋の本名(姓と名)の間に入れる「クリスチャンネーム(洗礼名)」と較べて大きな違いがあります。
「戒名」までは、イザナミ神話以来の伝統が続いていた、とみなされますが、家紋を墓石のもっとも大切な位置に入れるとなると、問題の本質が根底からひっくり返ってしまいます。つまり、千引石以来のお墓の形状「シンボル」の意味が、まったく違う次元へ移った(転換した)のです。
もっと大げさに言うなら、明治維新のとき、アジア諸国の中で唯一西洋化に成功した日本の、国民の文化意識の変化が江戸時代のこのころすでに起きており、その兆候はお墓(墓石の家紋)に認められる、と言うこともできます
。 それくらい大きな文化意識の変化が江戸時代にあったのです。こうした時代に本居宣長が日本固有の文化を『古事記』の中に求めてその注釈書『古事記伝』を著したり、『源氏物語』によって「もののあわれ」を掘り起こそうとしたのも必然のことでした。決して偶然ではなかったのです。
さて現代には、イザナミ神話・千引石の「お墓の形状コンセプト」は生きているのでしょうか。
もちろん圧倒的な強さで生きています。それは墓地でいわゆる「ニューデザイン墓」と従来型のお墓の比率を見較べるとわかります。
しかし確実に大きな変化もあります。ぴかぴかに磨かれた墓石の登場です。単に人工ダイヤモンドの開発によって墓石加工技術が大きく変化した、というだけでなく、これは意識の変化であって「石の自然性」を全面的に拒否しようとした形状です。現代的な効率性(墓石の手入れが簡単で、増産効率を高めること)から生み出された「文化」的なシンボルを意味しています。
お墓とは「自然と文化のせめぎあいの中で、ちょうどその中間に位置するもの」と前に述べましたが、江戸後期から現代までのお墓は、明らかに「文化」のほうへ大きく引き寄せられた位置にある、と言えます。
それは、千引石が自然石なのは加工技術の問題ではなく、「自然」性を強く残す「死」の問題に起因しています。
日本人はアジア(特に中国・朝鮮半島)に普及した「自然型」の大地をシンボルとする「土饅頭型」のお墓でなく、「自然石型」のお墓、つまり「石」をお墓のシンボルとして選択したときに、お墓の形状コンセプトが確立されていました。
ところが現代の日本人は素材の「石」は残しましたが、江戸時代の変化をそのまま受け継いで、「文化型」の墓石に変化させています。
そのことは現代の墓地に五六分もいるとすぐわかります。
つまり異様にぴかぴかに磨かれた墓石が林立する墓地では、なぜか「落ち着かない」、「見飽きる」、「人を拒否する」のです。
なぜでしょうか。
それは、現代の墓地に「自然」がないからです。どんなに花や樹木を植えて手入れが行き届いていても、いや、そうであればあるほど人工的(文化的)なニオイがして、人の心を落ち着かせない(拒否されてしまう)のです。
千引石が「墓石の形状の原点だ」というのは、「自然性」を強く残すことにその「本質」があったのです。
そこで「自然性のある墓石」とは、自然の石が本来持っている五つの点を表現しているお墓に尽きるのではないでしょうか。それは下記の五点です。
①シンプルであること
②力強さがあること
③おおらかであること
④見飽きないこと
⑤抽象的で生前の痕跡を残さないこと
これが日本人のお墓の形状コンセプトの原点となった「千引石」の意味であり、本質であると思います。
それは「自然を拒否する文化」ではなく「自然を生かす文化」でもある、ともいえます。
自然の持つ「すばらしさ」を最大限に生かすことによって、人々の心に「畏敬」と「安らぎ」を与え、「自然に溶け込む」「深い味わい」のある墓石になるのではないでしょうか。
それは神話の祖先から営々と受け継がれた「石工職人」のみに許された、自然の石に手を加える「匠の技術」の結晶であり、日本人のお墓文化です。
しかし私は、墓石の「優劣」や「良し悪し」を言ってるのではありません。日本人の墓石の形状の原点とその本質が何であったのか、を確認しているだけです。
ただ神話依頼の祖先の「石大工」たちはきっと、自然の素材の石に、機械の精密さではなく、自然を生かす方法で「手を加え」ながら墓石を作ってきたのだろうと思われるのです。
それが伝統的な日本の「石大工」や「石工」といわれる「職人のいのち」であり「職人のたましい」だったのではないでしょうか。
これは、異業種から突然、墓石業界に参入した「経営者」や「営業マン集団」には絶対に真似ができないもので、石工職人の「宝物」であることは紛れもない事実です。
この「宝物」はまた、他の国では真似のできない日本の自然風土と精神風土が培ってきたもの、と私は確信しています。
そして、ぜひこれだけは日本人が残しておかねば、やがて「日本のお墓文化死んでしまう」と痛切に危機感を抱いています。
神話は、こうしたさまざまな「叡智」を現代の私たちに伝え、メッセージしている日本人の「宝物」なのです。
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