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第四五回 「墓石の原点~その8~」・・(平成21年11月1日)

日本神話が物語るお墓の意味②
先月からの続きです。
(5)お墓とは「祀り」と「豊穣」を交換する場所
 これまで触れなかったことがあります。
 お墓はシンボルですから、最初に述べたようにシンボルには「交換」という特徴があるということです。
 人間の最も基本的で重要な交換は言葉(シンボル)の交換によってコミュニケーションが成り立つ点ですが、私たちは、お墓でも色々な「交換」をしています。
 古代の日本人、とりわけ神話を生み出した祖先たちも、お墓で「鄭重な埋葬とお祀り」と「豊かなもの(豊穣)」を交換しています。 言葉やお金の例は分りやすいのですが、シンボルの交換には、交換を行なう集団(社会)がシンボルの意味や価値を共通(共有)して認めていなければ成り立ちません。
 同様にお墓での交換には、神話の祖先たちが「死の穢れは豊かなものを生み出す偉大な穢れである」という「叡智」を共有していることが大前提になります。さて祖先たちはそれを知っていたのでしょうか。もちろん、よく知っていました。
 だからこそ無意識のうちに、「偉大な穢れ」を生み出す「マイナス二重構造」を神話の中に織り込んでいたのです。それがレヴィ=ストロースやユングが指摘した神話の偉大さ(隠れた宝物とメッセージ)です。
 祖先たちは、ことさら「偉大な穢れ」と、それを生み出す「マイナス二重構造」を解説しなくても、それは当然の常識として共有された「叡智」だったのです。
 祖先たちの目的はむしろ、これを使って神話を物語ることにありました。
 ただ、後代の子孫にはその常識が、長い年月とともに通用しなくなっていただけのことです。しかし「時代とともにシンボルの意味や価値の内容が変わる」というのは、大変重要なことです。それはお墓での交換においてもはっきりしています。
 そして大事なのは、「どんなに時代が変わっても神話の構造は変化しない」という点です。
 丸山教授が日本政治思想史の方法論として注目された日本神話の「うむ」「なる」の構造が、時代を超えて(歴史性を持って)、日本人の底流にいつも繰り返し流れている、といわれたことに該当します。クラシック音楽を徹底して研究されていた丸山教授は、これをバッハ作曲の『シャコンヌ』の音楽形式にちなんで「執拗低音(「バッソ・オスティナート」)=高音部のメロディーはさまざまに変化しても、低音部は執拗に同じメロディーを反復する形式)」といわれました。
 また、レヴィ=ストロースが「構造人間学」で、南北アメリカ大陸の二千に及ぶ神話を読み解いたのも、神話の構造はどんな時代にも通用する心理だったからです。それが「実存主義」を超えた現代の「構造主義」という哲学です。
 要は、お墓は日本人の文化が生み出したシンボルである以上、お墓にはその時代その時代に共有された意味や価値があり、それがさまざまに交換されたのであれば、その意味や価値の内容をひとつひとつ読み解けばよいのです。
 墓前にお花を供えたり、お香を焚いて合掌するのは、実は無意識のうちにさまざまなものと交換しているのですが、その意味をそれぞれの時代の文化に照らして、正しく読み解くことが、お墓を歴史的に理解する、ということです。

 神話の祖先には「死体は鄭重に埋葬してお祀りするだけの価値があった」からそうしたのですが、そうすることで「人々の生活に役立つ豊かなものをもたらしてくれる」からでした。それが祖先たちの、お墓での交換です。
 しかしそれは、むしろ「死体が豊かなものと交換できる文化・社会が出来ていたから《価値》があった」わけです。
 もし神話時代に、死体を交換する文化・社会が出来ていなかったら、死体は無価値です。何の価値もない死体なら、祖先たちも子孫たちも進んで野山に捨てたに違いありません。
 だからお墓を理解するとは、日本人の文化を理解することに他ならないのです。つまり「お墓はシンボル」なのです。

 お墓での高官はやがて「ご先祖様をお祀り(先祖供養)する子孫に、ご先祖様は必ず恩恵をもたらしてくれる」「ご先祖様にお願いすると、なんでも願い事をかなえてくれる」など、その意味が膨らんでくることになります。
 その原型の千引石では「支社」と「豊穣」の交換でした。

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