イザナギが黄泉の国の入口を千引岩でふざぎ、イザナミと向き合って別れを告げたこと(事戸を度す)、これが墓石の原点だと思われますが、この千引岩について、もう少し掘り下げてみることにします。
古来、日本のお墓(埋葬施設)には、必ずしも石が使われていたわけではありません。土に穴を掘っただけで、時には甕棺を利用したり、その上に盛り土や木を植えています。もちろん東北北海道に見られる、ストーンサークルのように石が使われている場合もあります。
しかし千引岩は、日本の墓石に初めて文化的な意味づけをした点が重要なのです。千引岩を「道反の大神」「塞ります黄泉戸大神」と名づけたことに、そのことが見て取れます。
「道反」とは「女神イザナミがこの世に出てくるのを遮って、もと来た黄泉の国へ追い返す」ことです。
また「塞ります黄泉戸大神」の「黄泉戸」とは、『日本書紀』に「泉門(よみと)」とあるようにあの世の出入り口のことで、「あの世の門の出入りを塞いで開かない」ことです。
大切なのは千引岩にこうした不思議な力があるということです。千引岩が「大神」で「大いなる霊力があるもの」とする点です。つまり「石の霊力」「墓石の霊力」を、神話ははっきりと言明しているのです。
なぜこのことが重要なのか、と言うと、多くの民族学者が使っている「墓標」という言葉と比較してみるとよくわかります。「墓標」とは「墓の目印」のことで、その言葉には「石の霊力」は意識されていません。単に「ここに死体が埋まっているという目印」にすぎません。しかし、神話の時代、つまり日本のお墓の原点ではそうではなかったのです。
祖先たちは千引岩という墓石に「大いなる石の力」をはっきりと見て取っていますし、それを神話の中に織り込んで、長く子孫たちにメッセージを送り続けていたのです。
何度も言いますが、千引岩は不思議な霊力のある大神で、日本の墓石はここに出発点があります。
「塞ります黄泉戸」について本居宣長は『古事記伝』四之巻で「さやりますよみと」と訓むべきだと指摘しています。その理由については以下のように書いています。
「さて上に引塞とある塞は、佐閇(さえ)と訓み……此の塞坐は、佐夜理坐(さやります)と訓べし。其故は、まづ始メなるは、是を以て塞たまふ伊邪那岐ノ神に就て云なれば、佐閇と訓べく、後の二ツは、其ノ所塞石に就て云なれば、佐波理(さはり)とか佐夜理(さやり)とか云べき格なり。同ジ言も、人の為と自ら然るとの差あり」と。
イザナギが千引岩を引いてきて黄泉の出入り口を塞ぐ時は、「イザナギが塞ぎった(さえぎった)」と訓み、千引岩の場合は「塞ぎっている千引岩」と差をつけて訓むと言っています。
こうした区別をつけた宣長は、大変素晴らしいところに着眼しています。
千引岩は黄泉の国の出入り口で「塞ぎったままの状態を保ち続ける霊力を持った石」「不思議な力がある開かずの扉」「封印されたままの不思議な力のある石の扉」という意味です。
そこに「道反」の力が加わりますから千引岩とは「誰にも開けられない、開けようとすると追い返す霊力を持った石」という意味になります。それが「墓石」の原義となります。
イザナギという「文化」の象徴が千引岩を引いてきたことや、千引岩の訓ませ方は、千引岩に文化的な意味づけがなされた、つまり「シンボル化」がなされたという意味です。「墓石のシンボル化」については、さすがに宣長も言及しておりませんが、十分に意識していたであろうと思われます。
いずれにしても、これが「墓石がシンボルである」ことに言及した最初の文献であると言ってよいと思います。
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