プロローグとして、記紀研究の先駆的存在である本居宣長について、少しばかり触れることとします。 本居宣長については、敢てここで紹介する必要はないでしょうが、彼の著作の中に、日本人のお墓を考える際に注目するべき記述があります。
①「古へより今に至るまで、世の中の善悪き、移りもて来しさまなどを験むるに、みな神代の趣に違へることなし、今ゆくさきよろ万代までも、思ひはかりつべし。」(『古事記伝』三之巻)
②「凡て世間のありさま、代々時々に、吉善事凶悪事つぎつぎに移りもてゆく理は大きなるも小さきも、悉に此の神代の始の趣に依るものなり」(『古事記伝』七之巻)
丸山真男は、「(宣長は)未来を含む一切の歴史の理が神代に凝縮されていることをくりかえし主張している。この命題は一見するほど非歴史的ではなく、歴史哲学のうえでも重要な問題に触れている」と解釈しています。しかしながら、この記述を、別な角度からとらえてみると、次のような解釈ができるのではないでしょうか。
①の「の中の善悪き、移りもて来しさま」と、②の「凡て世間のありさま、代々時々に、吉善事凶悪事つぎつぎに移りもてゆく理」の「善悪き」と「吉善事凶悪事」を、宣長は生命の誕生と死のことと言い、これが自然の理としていつの世にも交互に移り変わると言っています。これは、先に示した。
生物の死→肥沃な大地→生物の生成→生物の死・・・
の「自然回帰」のサイクルのことです。 しかも宣長は「うむ」「なる」の二元論に気付き、結論として「これは未来永久に続く理であり、神話の神代の物語に、その内容はすべて書かれている」と確信をもって述べています。 宣長は、レヴィ・ストロースやユングを知ることなく、独自に『古事記』を読み続けることによって「日本の神話の構造」を見抜き、祖先たちの「隠した宝物」とそのメッセージを読み解いていったのです。 故に、宣長の解釈に従って神話の「死穢」の問題を見ていくと、非常にわかりやすく理解できます。
さて、それでは、宣長の解釈を参考にしながら、黄泉の国の物語に隠されている「日本人のお墓」の原点を見ることにします。特に墓石の起源がここには見て取ることができます。
「千引岩」の部分は次の通りでした。
イザナギは、千人でやっと引き動かすことができるほどの大きな「千引岩」を黄泉津比良坂まで引き、入り口をふさぎました。そしてイザナギとイザナミの二神は、その石を中にして向かい合い、互いに最後の別れを告げました。(事戸を度す)
イザナミの命のことを「黄泉津大神(あの世の大王・冥界の大王)」と呼び、そして黄泉の坂をふさいだ石(千引石)のことを「道反の大神」もしくは「塞ります黄泉戸大神」という。
この黄泉津比良坂での事戸を度した物語については、『日本書紀』の「絶妻之誓」を「コトド」と読ませた例と併せて、離縁宣言のように解釈される場合もあります。ですが、それは表面的な見方であって、「事戸」は死別の物語なのですから、もっと重要な意味が隠されているのです。
第一に、イザナギを「文化」、イザナミを「自然」に置き換えると、この時初めて祖先たちは、文化として「死の確認」をしたと読み換えることができます。
第二に、文化的な死の確認によって、自然死は、自然のものではなく文化の範疇に属することとなります。文化的な死の確認とは、自然界の死と断絶することとなります。換言すれば、「死の確認を文化的に決着した」ということで、それが「事戸を度す」ことの隠された意味です。
第三に、その結果、どうしても文化的な死の確認をあらわすシンボルが必要になります。このことは「お墓」のきっかけとして、非常に重要です。
なぜならお墓がそのシンボルだからです。シンボル(文化活動)を持つのは、「動物はお墓を作らない」(『アラン人生語録』彌生選書)、と言う通り、お墓は人間の文化的所産です。文化的な死の確認をあらわすシンボルとして、死の儀式(葬儀)、埋葬儀礼、埋葬後の儀礼(追善・先祖供養・先祖祭祀など)のための、お墓や位牌が必然的に作られます。
死の儀式・お墓・位牌は、①自然界の死者が現世と決別したシンボルであり、②文化的な意味での死者の世界(来世)が始まり、③生者とのつながりをはじめるためのシンボルです。 イザナギが「事戸を度」した意味とは、こうした「文化的な死」の始まりを意味するのです。