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2017-05

大長谷命の時代②

安康天皇の殺害の知らせを聞いた大長谷命は
今後のことについて相談するために兄である黒日子王(クロヒコノミコ)のもとに向かった

しかし相談しても黒日子王は報復に向かう様子はなく
怒った大長居谷命は兄を斬り殺してしまった

もう一人の兄である白日子王(シロヒコノミコ)の元を訪れたが
白日子王の態度もはっきりしない

大長谷命は白日子王を小治田(現在の奈良県明日香村)に連れ出し
穴に生き埋めにして殺してしまった
大長谷命は、兄たちが裏で目弱王を操っているのではないかと疑心暗鬼になっていたのだった

大長谷命は兵を集めて都夫良意富美(ツブラオオミ)を攻め
激しい戦いとなった

都夫良意富美は娘の訶良比売(カラヒメ)と領地を明け渡すと約束しながらも
目弱王をかばって戦い続けたが
ついに力尽きてしまい
最終的には、かばいきれなくなった目弱王を殺してしまい
自らも首を斬って自害してしまった

戦いに負けてしまった葛城氏は
このことによって力を失い凋落へと向かっていった

大長谷命は近江の人から熱心に狩りに誘われたので
弟の市辺之忍歯王(イチノベノオシハノミコ)と一緒に
蚊屋野(現在の滋賀県八日市市の蒲生野)に出かけていった

市辺之忍歯王の行動を不審に思った大長谷命は
罠だと疑って狩場に着いて矢を使って殺害してしまった

あまりの怒りに大長谷命は
さらにその遺体を切り刻んで埋めてしまった

市辺之忍歯王の子ども達は
危機が迫っているのを察し
播磨(兵庫県)に逃げて、牛飼いや馬飼いとして働き
地方氏族である志自牟(シジム)に仕えた

市辺之忍歯王は、履中天皇と葛城の黒日売の子で
葛城氏の血が濃いような皇子だった

市辺之忍歯王が大長谷命を殺害しようとした背景には
葛城氏の巻き返しの策だったと思われる

市辺之忍歯王が殺害されたことにより
葛城氏の勢力は弱まり
代わって平群や大伴、物部氏などが台頭してきた

また市辺之忍歯王は有力な皇位継承者でもあったので
殺害することで大長谷命の即位は盤石なものとなった

兄2人と弟、目弱王を葬ったあと
仁徳天皇の継承者は大長谷命ひとりとなったのだった

大長谷命の時代①

第20代天皇の安康天皇は
実の妹と禁断の恋に落ちた兄の木梨之軽王(キナシノカルノミコト)を排除して皇位に就いた

安康天皇は同母弟である大長谷命(オオハツセノミコト)をとくに目をかけていた

安康天皇は、若日下王(ワカクサカノミコ)を大長谷命の妻にしたいと考えた

その許可を得るために、その兄の大日下王(オオクサカノミコ)のもとに
根臣(ねのおみ)を送った
大日下王は、その提案に快く応じ
その証として押木の玉縵(おしきのたまかずら)を献上した

しかし、根臣は押木の玉縵が欲しくなってしまい
大日下王が拒絶したと嘘の報告をしてしまうのだった

安康天皇は、それを聞いて腹を立て
大日下王を殺してしまい、大日下王の正妻である長田大郎女(ナガタノオオイラツメ)を奪って皇后にしてしまった

大日下王は有力な皇位継承者だったので
安康天皇のこのような行動の背景には
政権基盤を確実に固める意味合いもあった

安康天皇は大日下王と長田大郎女の子である
7歳の目弱王(マヨワノミコ)を引き取って育てていたが
ふと心配になり皇后に相談した
「目弱王は、実の父を殺したのが自分だと知ったら反逆してくるのではないだろうか?」と

その時、御殿で遊んでいた目弱王はその言葉を耳にしてしまい
その場で刀をとって、安康天皇の首を落として
父の復習を果たした
そして目弱王は、そのまま大臣の都夫良意富美(ツブラオオミ)の屋敷に逃げ込んだ

都夫良意富美は葛城氏の長だった
葛城氏は履中、反正、允恭と3代にわたって外威として政権の核を担う実力者だった

安康天皇の母が皇族出身ということもあり
葛城氏は朝廷と距離を置いていたが
王家に対抗できるほどの大豪族である
目弱王は、そんな都夫良意富美のもとなら安全だろうと考えて逃げたと思われる

天皇の殺害という前代未聞の大騒動となったが
歴代の天皇が殺害されたのは
安康天皇と、第32代崇峻天皇だけである

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