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2017-03

仁徳天皇とその皇子たち②

国家を繁栄さえて、大規模な治水事業を行ったり
神風満帆に見える仁徳天皇だが
結婚に関しては悩みが絶えなかった

仁徳天皇の妃は石之日売命(イワノヒメノミコト)は
非常に嫉妬深い妻だった

仁徳天皇が召した吉備の黒日売(クロヒメ)は
皇后の嫉妬深さを恐れて船で故郷に帰ってしまった

その際に仁徳天皇が黒日売を難波の港まで見送ったことに
腹を立てた石之日売命は黒日売を船から降ろして
陸を徒歩で帰らせた

それを不憫に思った仁徳天皇は
淡路島に行くという口実を設けて皇后の目を盗み
淡路島から伝って吉備に向かい黒日売を慰めた

ある時、皇后が紀伊に行ったすきをついて
仁徳天皇は異母妹である八田若郎女(ヤタノワキイラツメ)を妃にした
それを知った皇后は激怒し
難波に戻らずに淀川を遡り筒木宮(現在の京都府京田辺市)にこもってしまった

仁徳天皇は使者を送り説得を試みたが
皇后は全く耳を貸さず
最後には仁徳天皇が直接出向き頭を下げて
ようやく許しをこうた

仁徳天皇は女鳥王(メドリノミコ)に求婚したこともあった
だが皇后が嫉妬深いことが原因で断られてしまう

女鳥王は速総別王(ハヤブサワケノミコ)と結婚する
そして仁徳天皇を抹殺しようと夫をそそのかした

その情報を耳にした仁徳天皇は
ふたりを討ち取るために軍勢を送った

夫婦は手に手を取り合って
倉掎山(現在の奈良県桜井市の山)に逃げた
しかしほどなくして敵が追ってくると
今度は宇陀の蘇邇(現在の奈良県宇陀群曽爾村)を目指した
石之日売命いしかし、ここで二人は逆臣として殺されてしまう

ちなみに、争ったこの3人は
ともに応神天皇の腹違いの兄弟だ

妃の嫉妬に振り回される仁徳天皇は
人間らしさがあるが
これは夫婦間の問題というだけではない

自分の氏族から妃を出すことは
その氏族にとっては地位を高めることに繋がる

この物語は、単純に夫婦の浮気とやきもちの問題ではなく
皇后の出身氏族の勢力争いなのである

仁徳天皇とその皇子たち①

第16代天皇の仁徳天皇は弟である宇遅能和紀郎子(ウジノワキイラツコ)
と皇位を譲り合って、継承者がなかなか決まらずに
宇遅能和紀郎子の死によって天皇となった

仁徳天皇は、善政を敷いたことで
理想的な天皇の姿であると称賛されている

ある日、仁徳天皇は山に登って国土を眺めていた
民家を眺望していても煮炊きの煙が全く上がっていないことに気付く
国民は貧困によって食事もできない状況だと気づいた

そこで仁徳天皇は国民に対して
3年間の税金の免除を決めた

税収がないので宮殿の修復を行うこともできない
宮殿は傷み、雨漏りが激しくなり
濡れない場所を探しながら移動して生活しるようなありさまだった

しかし仁徳天皇は民家から煮炊きの煙が上がるまで
税を徴収することはしないと決め
煮炊きの煙を確認して、ようやく税の徴収を再開した

国民を慈しみ大切にする政策によって
国は栄えて
国民は「聖帝の御代」と天皇の政策を称賛した

仁徳天皇は大和を離れて、難波の高津宮に宮殿を構え
朝鮮半島の先進土木技術を持つ渡来系の秦氏に治水事業を行うように命じた

山国の大和よりも難波の高津宮の方が
海外との交流には便利だったが
難波には淀川と大和川が流れ
それに加えて生駒山地の東に大きな湖もあるので
水害に悩まされる地域でもあった

仁徳天皇は水害に悩む国民を救うために
茨田(現在の大阪府寝屋川市)に治水用の提を作らせた
そして海に繋がる大きな堀江を作り
低湿地の水を抜き耕地を広げた

さらに田畑に引くための灌漑用水を確保するために
丸邇池(現在の大阪府富田林市または奈良市池田)や依網池(現在の大阪府堺市池内)
も秦氏に作らせた

小掎江(現在の大阪市天王寺区)を拓き
墨江の滝(現在の大阪市住吉区)も新設し
水上交通を整備し
茨田には朝廷直轄の穀倉も築造させた

一説にはこれらの大規模な土木工事は
のちの時代に行われたとも言われていて

仁徳天皇の功績を美化するために
ここにまとめられていると考えられている

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