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2016-09

沙本毘売の悲劇③

垂仁天皇は亡き皇后である沙本毘売命の遺言に従い
彼女の従姉妹たちを宮中に召した

その従姉妹たちは4人
比婆須比売(ヒバスヒメ)、弟比売(オトヒメ)、歌凝比売(ウタゴリヒメ)、円野比売(マトノヒメ)の四姉妹である

ところが垂仁天皇は、比婆須比売と弟比売は喜んで迎えたが
歌凝比売と円野比売は容姿が醜いという理由で国許に帰してしまった

円野比売は、こんな恥ずかしい思いをして故郷には帰れないと
山城国の相楽(さがらか=現在の京都府木津川市周辺)で首をくくろうとする
しかし死にきれずい乙訓(おとくに=現在の京都市南西)まで行き、そこにあった深い淵に身を投げて自害した

この話も悲しい話だが
邇邇芸命が木花之佐久夜毘売を選び、石長比売を容姿を理由に遠ざけた話と似ていて
創作された物語であると指摘する見方もある

垂仁天皇は、多遅摩毛理(タジマモリ)を遠くの常世国に遣わして
いつもよい香りを放ち続ける橘の実を持ち帰るように命じた

常世国は海の向こうにある、命が生まれ出る国だ
また、橘の実とはみかんの実を指していると言われている

多遅摩毛理は苦労を重ねて常世国にたどり着き
実のなった橘の木を手に入れて、意気揚々と大和を帰ってくる
しかし多遅摩毛理の帰りを待たずに垂仁天皇はすでにこの世の人ではなかった

多遅摩毛理は採ってきた橘の木の半数を皇后に献上し
残りの半分を天皇の御陵に捧げて、声を上げて泣き叫んだ
「ようやく持ち帰ることができたのに」と絶叫したあと、多遅摩毛理はその場で亡くなった

中国の神仙思想では、常世国の実には寿命をのばす薬効があるとされていて
天皇が長寿を願って多遅摩毛理を派遣したのではないか?とも考えられている
(これは古事記や日本書紀では説明されてはいない)

また多遅摩毛理は渡来系氏族出身で、神仙思想に通じていたために遣わされたと言われている

沙本毘売の悲劇②

亡き皇后の忘れ形見である本牟智和気(ホムチワケ)に垂仁天皇は
愛情を注いで育てた
珍しい小舟を地方から取り寄せて一緒に乗って遊んだりもした

しかし本牟智和気は髭が胸に届くような年齢になっても
言葉を話すことができなかった

ある日、本牟智和気は空を飛ぶ白鳥の鳴き声を聞いて
初めて片言の言葉を口にした

それを聞いた垂仁天皇は大喜びして
山辺之大鶙(ヤマノベノオオタカ)にその白鳥を捕まえるように命じた

山辺之大鶙は白鳥のあとを追って
紀伊国に行き、播磨から山陰地方を経て
東国をめぐり、越国の和那美の水門で捕獲することができた

山辺之大鶙は白鳥を垂仁天皇の献上したが
それを見ても本牟智和気は言葉を発することはなかった

ある日の夜、垂仁天皇の夢の中に神が現れて
「私の神殿を天皇の宮のように荘厳につくってほしい。そうすれば本牟智和気は会話ができるようになる」と語った

夢に現れた神は、どの神なのか占ってみると
出雲の大国主神であることがわかった
垂仁天皇は本牟智和気を供につけて出雲の参拝に向かわせた

大国主神の社に詣で
大和に帰ろうと一行が斐伊川まできたときだった
突然、本牟智和気が供に話しかけた
口が利けるようになったのである

垂仁天皇は大国主神に感謝をして
出雲の社を立派な社殿に建て替えさせた

物語は他に本牟智和気が出雲で
肥長比売(ヒナガヒメ)と一夜をともにする
肥長比売の正体が蛇だったことに驚いた本牟智和気は急いで大和に逃げ帰る話も登場する

この話の意図は
蛇は古代より水と司る水神としてあがめられていることから
本牟智和気の大人への脱皮を語る話とも捉えられるが
本牟智和気は逃げてしまっているので
皇族と在地神の結婚はタブーである…という説話の可能性もある

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