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2014-01

ライフスタイルの変化とお墓の無形化

その昔、家は長男が継ぎ

娘や、次男以下の息子たちは家を出て新しい家を作っていた

 

それが、経済成長と都市化が進むことで

長男も家から出ることになり

高齢となった親は老後の介護を求めて子どもの住む都市へと移動した

 

それに伴い、親が守っていたお墓も移動を余儀なくされていったのである

 

このように都市型共同墓所は

地縁、血縁による地域共同体からに人間の離脱、お墓からの離脱の中で

お墓の流動化や無縁化、個人化へと移行していったのである

 

人々が、地域からの強いつながりから離れて

個々に合った生き方を選択していく上で、お墓のありかたも変わっていったのである

 

個人の自由が叶えやすい世の中になったことで

人々は、地縁や血縁の繋がりやしがらみから脱却することになった

 

これは、物理的な脱却だけではなく

精神的にも脱却していくことになったのではないだろうか…

 

死後、人の世話になることを避け

散骨…という方法も生まれてきた

 

先祖の繋がりも、子孫への繋がりをも避けることは

すなわち、全てを自分の責任で完結させる…

人に迷惑をかけない…という考え方に繋がってきているように見受けられる

 

自分自身の体なのだから、死後の行く先も自分で決める

…ということは、自分の繋がりを否定する考え方にも見えてくる

 

 

昨今、自分の存在意義に疑問を持つ人が増えている一方で

その存在を自分の裁量でき決める考えが、当たり前のようになってきている

 

「限られた命だから、好きな物を食べて、好きなように生きていく」

 

そこには、仏教の輪廻転生も、因果応報の考えも排除され

死=無

という考え方

 

死んだら、何もかも終わりだから

好きに生きて何が悪い…という、単独的な考えが

物質科学至上主義の世の中では、当たり前になってきている

 

そもそも仏教の考えでは

肉体は借り物であり

死後は、その肉体を自然に戻さなければならない

それゆえに、「自分体は、自分の好きに使っていい」という考えには至らない

 

不徳が、子孫に影響を受けることを考えると

自分の代だけの問題ではなくなるので

その行いには細心の注意を払わなければならない

 

そのような考え方が基盤となり

地縁、血縁の絆が深まり

自分の代だけで物事の決着をつける考え方にはなっていなかった

 

このような、現代社会のライフスタイルの変化が

お墓や、地縁、血縁の考え方も変え

人生観を変えていっていることは否めないだろう

 

何が正しいのか…という議論はここでは控えるが

 

ライフスタイルの変化と思考の変化が

どのような結果になっているのかは冷静に考えていかなければならない問題である

初詣

元旦を迎え、初詣に出かける人も多いだろう

ここ最近のパワースポットブームに乗って、神社へ参拝する人々も年々増加の傾向にあるようだ

 

前述させていただいたことがあるが

神社は、寺やお墓と違い

先祖が奉られているわけではない

神道の信仰にもとずき作られた祭祀施設である

 

そして、この初詣という慣習が出現してきてから

まだ日が浅い

 

元々は「年篭り」と呼び

大晦日から元日にかけて、家長が恵方の社寺に泊まり込む風習があったが

明治以降には、家長に限らず

元日に参拝する風習となり

鉄道会社も、それに便乗する形で路線を拡大していった

 

恵方の概念も消えていき

参拝する寺社に規定もなくなり

最寄りの…または、好みの寺社に出向き

一年の計を願うことが習慣となってきた

 

そもそも、参拝とは

神に我欲を押し付けるものではなく

そこに存在する神に

様々な事柄に感謝することである

 

しかし、昨今の初詣に代表される参拝は

何かを祈願したり、神に我欲を押し付ける場へと変化してきている

 

一年に一度しか参拝しない人も多く

その参拝マナーには辟易することも否めない

 

境内は、人に溢れ

神の通り道も塞がれ

そこに神が存在するような神々しい空気も感じることが難しい

 

その上、我欲の達成を願う人々の多さで

神も、正月期間中は不在のようにも感じる

 

私自身は、上記の理由から初詣を習慣にしてはいないが

 

その歴史の浅さが理由ではなく

参拝する人の心持ちの問題も多い

 

風習や文化に関しては

歴史の長さが重要ではなく

その内容が問題になってくる

 

歴史の浅い習慣であっても

それが大きな意味を成すものであれば

問題ではないだろう

 

私利私欲の祈願達成が習慣になってしまっては

神道とは、真逆の方向へ向かうことになる

 

私は特定の宗教を信仰してはいないが

 

神と向かい合う時

その時の流れを肌で感じ

日本人として、この国に生を受けたことに感謝し

自分が「今、ここ」にいることを今一度認識し

繋がりを持って次世代へ受け継ぐことを

その恩返しとして行うことを誓う…

 

それが、日本人としての心であると思っている

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