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2013-04

墓地の法律と公園墓地

墓地は、なぜこれほどまでに短い期間で
その存在そのものの形まで変えていったのだろうか?

その大きな原因は、以前にもライフスタイルの変化であることは説明したが
それに付随して、墓地の場所も変化していく

しかし、これほど大きな変化があったにも関わらず
墓地に対する法律は、明治からあまり変わっていないのが現状である

現代の墓地の法律の基礎となっているものは
明治6年の「墓地の設置及び取拡げの制限に関する件」に始まり

明治17年太政官達第二十五号「墓地及び埋葬取締り規則」と、「同施行方法細目基準」で形を整えた

そして現在の「墓地、埋葬等に関する法律」は
戦後のすぐ後の昭和23年に規定されたものである
しかし、この法律は、明治初期から大枠では変わってはいない

昔、人々はその土地で生を受け
育ち、学び、結婚し、子孫を残し、老いて、死を迎え
そして、その土地の墓地に埋葬され、生涯を終えることが多かった

墓地の存在は、生活の一部であり
いつも近くにある存在であったのだ

それが、現代のように
追善供養や、盆や彼岸の時にのみ訪れる墓地のようになっていったのは
ライフスタイルの変化に伴い、公園墓地の存在が大きいだろう

都市開発が進み、人々が都会に集まるようになると
都市が膨張し、地方のはずれにあった墓地も市街地に取り込まれていくことになる

都市化の進展と、墓地の郊外への移転の繰り返しが限界に達し
その対策として、出現したのが
現在の公園墓地の元となる多摩霊園である

都市部の墓地を次々と無縁整理して、改装を繰り返しても
東京では、墓地を今供給できなくなっていったのである
それが、1918〜1919年頃の話である

多摩霊園の登場は、これまでの墓地に対する概念を大きく変えるばかりではなく
現代の墓地のスタイルに大きな影響を及ぼす、時代を画する墓地となった

公園様式によって、それまでの墓地の暗く陰湿な雰囲気を一新
急激な墓地の価値観の変化に馴染めない人も多かったが
その公園墓地の美しい景観は次第に人気になり
多摩霊園をお手本とした公園墓地は
次第に地方都市にも広がっていったのである

そして、この現代墓地の先駆者とも言える多摩霊園は墓地計画のモデルとなり
後に建設省(現在の国土交通省)の都市計画の「墓地計画基準」の基礎になった

そして、この多摩霊園を代表とする公園墓地は郊外に建設され
以前までの生活と共にする墓地ではなく
家族の住居や職場がある地域とは切り離され
墓地を地縁から離脱させることとなった

そして墓地は、家族と土地の繋がるのない地域に造成されていったのである

お墓は現代の暮らしの写し鏡

前回も、現代人のお墓の概念は情によって動いていくという話をしたが自分の死後設計がコントロールできるもの…と考えるようになったのは戦後の話なのかもしれない

そして、お墓参りする人の都合に合わせその設置場所も変化し、家族で話合いの場も設けられる

昔は、死後どこに入るかなど選択肢はなかったし自分がどこに入りたいか主張するなど思ってもみない話なのだ

しかし、結婚相手からライフスタイルまである程度、自分の感情を優先しながら決めることが可能になっているので自分の意思で死後の設計も行いたいという考えは当然なのかもしれない

子ども達が就職や転勤などで遠い地域に住んでいる場合など自分達の死後にお墓参りをしてもらえないのは寂しいので子ども達の住む近くにお墓を購入したり

感情的な理由で、姑と同じお墓には入りたくないことから自分一人でお墓を購入したり

最近では、霊園見学ツアーなどもあり自分の好みのお墓をカスタマイズしたりと、入り方も多種多様になってきている

自分が、自分の意思でお墓を選べる時代
自分の価値観でお墓を購入する人はこれからも増えてくると思われる

お墓はどうのように変化してきているのであろう

江戸時代までは、先祖代々が入るお墓…というのが主流であった

しかし、明治以降になって新しいお墓の形態が続々と登場することになる

江戸時代からあるのは村落共有墓地や寺院境内墓地 明治初期には永久的納骨堂、民間大規模霊園、宗教法人経営霊園
そして平成に入ってからは都市型の共同墓所、墓地の無形化(形のない墓)など新しいお墓が登場している

私たちがよく目にする「公園墓地」と呼ばれる形式は1923年にできた東京都の多摩霊園である
それ以降にできた公園墓地は、ほとんどこの多摩霊園をモデルに造られている

誰でも手軽に購入できる公園墓地形式のものは檀家になる必要もなく、宗教の縛りも、形式もなく自分のライフスタイルに合わせてお墓を建てることができることから急速に増えていくことになる

しかし、この墓苑の元となる考え方と現代の私たちの生活様式や家族の形態の多様化とがミスマッチであることは否めない

そして、この公園墓地は墓地を郊外に建設することにより、生活と断絶し普段の生活では、あまり死や先祖と向き合う機会が少なく墓地の近くに住む事を嫌ったりと生活と共にお墓がある…という考えが薄くなっていくのである

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