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2012-09

追善供養について

どこからどこまでを追善供養と呼ぶのかについて

疑問を持つ人も多いでしょうが

基本的には、お葬式とお墓の仏事は全て追善供養と言って良いだろう

 

インドで生まれ、中国で肉付けされ

やがて日本で完成されたのが「十三仏信仰」である

 

インド仏教においては

終わりのない輪廻転生において

前世から、次の後世までを「四有」という形をとるとされている

その「四有」は以下の通りである

 

「生有」…母胎にやどってから誕生の瞬間まで

「本有」…誕生から死ぬ瞬間までの一生

「死有」…死ぬ瞬間

「中有」…死有から次の生有までの四十九日間で、「中陰」ともいう

 

現代の日本では、ごくあたりまえに四十九日説を使用しているが

古代インドでは諸説あり、その中で有力と思われる四十九日が採用されたと思われる

 

日本では、死後四十九日目を「満中陰」を言って追善供養をする

 

その由来は、七日ごと七回、冥府において

生前の行いの善悪を審議し、次に生まれ変わる世界が六道の中から選ばれる

 

仏教以前のヴェーダ聖典には、「ヤマ」と呼ばれるのちの閻魔大王が

死者の命運を裁く…という言い伝えがあった

 

これが中国に伝わると

道教の俗信仰が付け加えられて

四十九日は、七人の審判が、七日ごとに、七回の裁判を行なう

という内容に変わっていったのである

中有の期間がインドの四十九日から二年近くに増えて

三回忌までは中有ということになった

 

ちなみに四十九日のうち、三七日(みなのか)の審判員が閻魔大王である

 

中国では、この四十九日に

「百カ日」「一周忌」「三回忌」を加えたものが

「十王信仰」である

 

十王信仰は、それぞれの日に道教の王を割り当てて死者の生前の行いを裁く

 

その十王信仰にさらに「七回忌」「十三回忌」「三十三回忌」を加えて

それぞれの菩薩を割り当てたものを「十三仏信仰」という

この十三仏信仰は日本で生まれたもので

現在の追善供養のもとになっているものである

本物の宗教は矛盾を拭い去る

私達は、日常を過ごしていると

様々な矛盾と向き合うことになる

 

その多くの疑問は

多くの人が認めているから…という理由で

自分の欲望と真理の追求と葛藤しつつ

曖昧な形で納めてしまう場合が多いのではないだろうか?

 

真理は一つである

世の中に、様々な考え方が蔓延していようとも

現象に対しての矛盾は存在しないのである

 

不思議なことや、奇跡などは

基本的には存在せず

全てが説明の付く真実が真理である

 

その真理は、凡人が解釈できるほどのもではないらしく

古代から、様々な人物が

その真理を解き明かそうと奔走している

 

それが「宗教」である

 

そして、凡人では解釈しきれない真理を

噛み砕き、わかりやすく説明して伝えていくことが布教活動である

 

そして、真理を正しく認識できないものや

わざと、真理ではないことを広めていくものもいる

 

間違えた方向に向かう宗教でも

信じてしまうものもいる

 

因果応報の考えからいくと

間違えた方向に導かれてしまうのも

不徳が多い結果なのかもしれない

 

 

仏教の教えには

物質至上主義では計り知れないものが多くあり

それゆえに宗教を毛嫌いする人も多いことも事実である

 

物質至上主義ではない場合に

弊害になるのが、確かめられないことである

 

確かめられないのに

自分で確認する方法がないのに

どうやって、信じればいのか?という疑問が発生してくる

 

その場合は、自分の感覚を研ぎ澄ませ

矛盾点を素直に指摘する心が大切である

 

本当の真理というものは

矛盾のないもので

誰の疑問にも明確に答えることができる

絶対無二の哲学であるのだから

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