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古事記 Archive

因幡のシロウサギ

古事記の中でも最も知名度の高いのは この「因幡のシロウサギ」だろう 古事記の内容をあまり詳しく知らなくても 「因幡のシロウサギ」の話は知っている人が多い
さらに、「因幡のシロウサギ」が古事記の話だと認識していない人もいる

 

それほど、日本人になじみの深い童話であるが その話を簡単に説明すると
隠岐の島から因幡(鳥取県)へ行きたいシロウサギは 海を渡る方法としてサメをだますことにした サメの群れに「数を数えてあげよう」と持ちかけ サメを一列に並べて、サメの背中の上を飛び移って向こう岸まで渡ろうとした

しかし、あと少しで岸へと到着する寸前で だましたことがバレてしまい サメに毛皮を剥がされてしまう

 

…という話である ちなみに 誤解が多いのだが

シロウサギは「白いウサギ」の意味ではなく 毛皮を剥がされて「素」になったウサギ 「素兎」の言葉が元になっている

 

この物語に登場するサメだが 違う生き物である…という説もある 古事記の中には、この生き物が「ワニ」であると書かれている

ワニというと爬虫類の口の大きなワニだと思うが

そのワニは、亜熱帯地域を中心に生息する生き物なので 日本にいたとは考えにくいので

「ワニ」は「サメ」のことを言っているのではないかと言われている

 

絵本によっては「ワニザメ」と表現しているものもある

これは古語であり

昔はサメを指してワニと呼んでいたようで 島根に近い広島県三次市などでは 現在もサメの肉を使った「ワニ料理」というのが存在していて その名残を残している
サメの肉は腐りにくいので 運送の手段が少なく時間もかかる昔は

山間部の地方では、貴重なタンパク源として重宝されていた

 

しかし、このワニをサメだと解釈するのに反対する意見もある

大分県では、小型のヨウスコウワニの化石が発掘されたこともあり 当時の日本に爬虫類のワニが生息していた可能性も否定できない また、古事記のワニを 現代でいう、サメやワニではなく

細長いウミヘビではないかとする説もある 個人的な意見だが 「神代正語常磐草」に描かれている

因幡のシロウサギの絵のワニは「ガメラ」にそっくりだと

いつも思ってしまうのである

縁結びの神といわれる出雲のオオクニヌシ

日本の最高神といえば、いわずもがなアマテラスであるが 遠い昔の出雲で最も尊いとされてきたのが 出雲建国の立役者であるオオクニヌシである

 

オオクニヌシは、このオオクニヌシという呼び名が一般的であるが 他の名前を聞いたことがある人も、多いかもしれない

 

オオクニヌシには様々な異名がある

「大穴牟遅命」(おおなむちのみこと)

「葦原色許男命」(あしはらしこおのみこと)

「八千矛神」(やちほこのかみ)

「宇都志国玉神」(うつしくにたまのかみ)

「大国玉神」(おおくにたまのかみ)

「大物主命」(おおののぬしのみこと)

合計6つの名前を持ち その数は、アマテラスを超えている

 

なぜオオクニヌシは、こんなにも別名が多いのであろうか? 別名の多い神には2つの説が考えられている

 

ひとつは、神格が高いほど異名が多くなるということ もうひとつは、様々な神話における呼び方を一つに統一したという説である しかし、神格に高さでいえば、オオクニヌシは低い方に位置する神である

それでは、どうして異名が多いのであろうか?

 

国つ神の位の高さは

後世の人間が作り上げた序列である 出雲は、神々の集う土地であり その出雲の神であるオオクニヌシは尊い存在であった

 

そのような理由から オオクニヌシにまつわる神話が古くから各地域に伝えられていたと考えられる

その中でオオクニヌシを呼ぶ名前も増えていったと考えられる

 

しかし、多くの名前が存在すると話をまとめるには不都合があることから

古事記を編集する際には その複数ある名前を統一したと考えられる 異名も多いが、その名前によっても役割もあるので その名で呼ばれることに、きちんとした意味を持たせていた

そして、オオクニヌシは妻子も多く 子供の数は108柱と言われていて このことから、現在は縁結びの神様としても祀られている

 

 

 

オオクニヌシの異名とその意味

 

異名 意味
「大穴牟遅命」(おおなむちのみこと) 不明
「葦原色許男命」(あしはらしこおのみこと) 葦原中国の醜い男の意
「八千矛神」(やちほこのかみ) 多くの矛を持つ神の意
「宇都志国玉神」(うつしくにたまのかみ) 現実の国土の神霊の意
「大国玉神」(おおくにたまのかみ) 上記と同意。人が住む土地を守る魂の意
「大物主命」(おおののぬしのみこと) 大神神社の神。地方で強く信仰されたことが共通し、次第にオオクニヌシと同一視された。

 

草薙の剣

「草薙の剣」といえば 言わずと知れた三種の神器の一つであり

ヤマトタケルが東征の際に用いたことでも知られる

有名な剣である                       現在、この草薙の剣は愛知県の熱田神宮に保管されているが 実はこの草薙の剣が出雲で作られたものであることを知っている人は少ないのではないだろうか?

 

ヤマタノオロチの退治の際に その結末で草薙の剣が登場する

ヤマタノオロチに酒を飲ませて

スサノオは十拳剣でヤマタノオロチを切り裂いた

その際の流血で、肥の河は血で染まった そして、ヤマタノオロチの尾を切った時 剣の刃が欠けたので見てみると、そこに「都牟刈の太刀」があった

これが、のちの「草薙の剣」である

この太刀は製鉄の結果できたものであるといわれている

ヤマタノオロチを切り裂いて 血が流れて赤く染まる現象は、製鉄の作業の様子である

 

それでは、この「草薙の剣」は、その後どうなったのだろうか?

 

ヤマタノオロチの尾から現れた剣を 不審に思ったスサノオは その事情をアマテラスに話をして 剣を献上した その後、ヤマトタケルの東征の際にアマテラスが天から降ろし それからずっと、草薙の剣は朝廷の手元に置かれている

 

このように、地方の特産物などを 朝廷に献上することは、昔はよく見られた光景である

 

草薙の剣は、武力の象徴であると同時に 稲穂を刈る鎌の象徴でもあった 草薙の名前の由来は ヤマトタケルが目の前の草を薙ぎ払ったことだと言われている

草を薙ぎ払い、開拓して そこに稲田を作って、作物を育てて、それを収穫し、有益な土地を作る 稲田を作ることは 敵地を奪い、領地を広げていくことと 同じくらいの価値があったと考えられた象徴でもあるのである

 

一件、武力のように 力を象徴することと 田畑を開墾していくことは 全く、違うことのように思えるが その力の強さは 双方、命をつなげるための 重要なことと考えられているので 同列に扱われているのである

 

水は敵か味方か

日本は海に囲まれている島国であり
河川も多く、川や海からの恵みを多く受けてきた国である

その一方、最近では東日本大震災の大きな津波災害があり
津波、河川の氾濫、台風の被害など
水に関する災害が多い国でもある

日頃は、その恵みに神の存在を感じ感謝をするが
災害などが起こると、神の怒りだと捉え
その怒りを静めるために、様々な儀式を行う
その儀式のひとつに人身御供がある

実際に日本では、生贄の風習は少なかったようだが
それでも、風習や慣習としてはないが
近畿地方を中心として人身御供の記録は残っている
その生贄は、人の場合は少なく
動物が差し出されることが多かったという
特に多いのが牛で、その他のも猪や鹿など多くの動物が犠牲となったようである

この人身御供は、諸外国と比較した場合
日本は圧倒的に水に関係するものが多いのも一つの特徴である

神話の中にも人身御供と思われる内容の話も多く
ヤマタノオロチの話もそうだが
ヤマトタケルの東征の際に后の弟橘比売が
荒れる海の中に入水した話や
現在の大阪府門真市にある茨田堤の話の中にも
河川の氾濫を抑えるために少女が人身御供となった記述が日本書記の中にある

基本、生きているか、そうでないかは関係なく
お供え物とは、神に気を静めてもらうためのプレゼントであり
酒や米、花、お金…様々なものが現代でもお供え物として使われていて
あまりにも、状況が悪い場合(多くの命が犠牲になると想定される場合)には
自分達にとって、より大切なものをお供え物として献上した方が
大きな効果が得られると考え
人の命、それも若く美しい命が一番効果が高いと考えられて
年頃の美しい少女が犠牲となることが多いようだ

村を守るためと説得され
断ることも許されず
その犠牲となった少女達…
そして、その親の心情を考えると居た堪れない気持ちになるが
日本は、そうやって水との共存を模索しながら
災害と向き合ってきた国なのだ

日本酒とヤマタノオロチ

葦原中国に降り立ったスサノオは
ある老夫婦に出会った
その老夫婦は、悲しみにくれていた

スサノオがそのわけを聞くと
村に、ヤマタノオロチという怪物が現れて
そのヤマタノオロチに八人いた娘のうち七人が食い殺されてしまい
次は、最後の一人が食い殺される番なのだという

ヤマタノオロチは、八つの頭に八つの尾を持つ怪物なのだという

その話を聞いたスサノオは
八つの甕(かめ)を用意して、その中に酒を注いで待ち構えた
娘を食い殺そうと村にやってきたヤマタノオロチは、その酒を飲み
酔いつぶれて、その場で眠ってしまった

ヤマタノオロチが寝ている隙に
スサノオは十拳剣でヤマタノオロチを切り裂いた

この話は絵本にもなっているので
知っている人も多いだろう
この時の酒が最初に日本酒だと言われている

スサノオがヤマタノオロチに飲ませたこの酒は
「八藍折(やしおおり)」と呼ばれる酒で
一度成熟させたもろみを絞って
再度、麹と粥を入れて熟成させる手順を八回も繰り返して醸造したので
かなり強い日本酒だったと言われている

このことから、この古事記が編集された奈良時代には
すでに、日本酒の醸造方法が確立していたこといなる

「魏志倭人伝」にも、米を使った酒造りの様子が書かれていて
そこには「倭人は《人性嗜酒》で葬儀の際にも《歌舞飲酒》する」とあり
昔から日本人は酒好きであり
葬儀の席でも、酒を飲み、歌をうたい、踊りを舞っていたようだ

酒にまつわる話は15代応神天皇に関しても残っていて
応神天皇は古事記の中で酒を好んで飲んでいる話が多く書かれている

中でも有名なのが
酒を飲んだ帰りに杖を片手に大和から河内まで歩いていた時の話で
その杖で石を叩いたら、石が逃げ出したという話である
この話が由来となって
「堅石も酔人を避く」ということわざが現在も残っている
これは、酔っ払いには近づくな…という意味だ

日本人がこれだけ酒好きなので
当然、酒の神も存在する
オオクニヌシも、その1柱だといわれている

スサノオが残したもの

父であるイザナギに海原を治めるように言われたにも関わらず

スサノオは、その命令に背き 高天原で大暴れまでした

彼はいったい、何が気に入らなくて、そのような行動に出たのだろうか?

 

スサノオは、本当は天つ神ではなくて、出雲における地方神であったという史料が残っている

「古事記」では、イザナギから生まれた高貴な神として記されているが

「出雲国風土記」には、出雲に留まる強力な神とされている スサノオが母であるイザナミのいる黄泉国に行きたいと言っていたが スサノオは黄泉国とは言わずに「根之堅州国(ねのかたすくに)」と言っていたが どちら死者が行く国である

その死者への入り口は出雲にあった

母のいる場所へ行きたいのか、故郷に帰りたいのか…

スサノオは出雲の神だったようだが

あまりにも強大な力を持っていたので、朝廷にとっては邪魔な存在であったようだ

 

その強大な力を、古事記や日本書記では さも自分達の系統のように書いていると考えられている

 

その証拠に、葦原中国の出雲に降りたスサノオはおとなしいものだった

スサノオが暴れ出したのは、地方政権による中央政権への抵抗と考えられる

 

スサノオの後は、子孫にあたるオオクニヌシが引き継ぐが スサノオは根之国に隠居したあとも サポートをして助言する立場で出雲に存在感を示していた

 

高天原を追放されたスサノオは 葦原中国に降りた時、オオゲツヒメに出会う オオゲツヒメは、食物を司る神である

 

このオオゲツヒメもイザナミとイザナギの神生みによって生まれた

 

スサノオはおなかがすいていたので

オオゲツヒメに頼んでみたら

オオゲツヒメは、鼻や口や尻から、いろいろな食べ物を出した

しかし、スサノオはこの行為が汚らわしいとして

オオゲツヒメを切り殺してしまう

 

その亡骸の頭に蚕がなり

目には稲がなり、耳に粟がなり、鼻に小豆がなり、陰部に麦がなり、尻に大豆がなった

 

これを神産巣日神が取って種にして、世の中に広めた これが五穀の始まりである

神の位

古事記において最初に登場するのが

天之御中主神(あめのみなかのぬしのかみ)である
そして、日本の国を生んだイザナミとイザナギ

イザナギから生まれた三貴子と呼ばれる神々がいて

出雲を建国したオオクニヌシ
…など
古事記の中には、様々な神々が登場する
神の中で最も位の高い神を「最高神」と呼ぶ

 

一般的に最初に現れた神を最高神と呼ぶが
日本では、太陽神である天照大御神を最高神として、伊勢神宮内宮に祀っている

 

天照大御神が最高神なので
天照大御神と関係が深い順に位が高くなっていくことになる

天照大御神の次に位が高いとされているのが
兄弟であるツクヨミとスサノオは
「三貴子(3柱の貴い子)」という呼び名からも尊い神である
そして、同じ天つ神であったとしても
天照大御神の直系の子孫の方がより位が高いとされている

天つ神と、国つ神では
天つ神の方が位が高いとされている
オオクニヌシは、最初のに現れた神なので
一番位が高い神になるはずなのだが
オオクニヌシは国つ神なので
天照大御神と比べる器でもないのである
そして、この神々の位も
最初はからあったわけではなく
後世の人間が作り出した序列である…と考えられている

 

 

イザナギとイザナミが生んだ日本は、今の日本とは少し違う

イザナミとイザナギによって生まれた日本の国

この国生みによって生まれた島は 今の日本の国とは少し違っている

 

国生みの際に生まれた島は順番に

淡道之穂之狭別島(淡路島)

伊予之二名島(四国)

隠伎之三子島(隠岐)

紫島(九州)

伊伎島(壱岐)

津島(対馬)

佐渡島(佐渡)

大倭豊秋津島(近畿地域※これを本州とする説もある) の八島である

 

そこからさらに

吉備児島(岡山・児島半島)

小豆島(香川・小豆島)

大島(山口・大島)

女島(大分・姫島)

知訶島(長崎・五島列島)

両児島(長崎・男女群島)

の六島が生まれた

 

これが、イザナミとイザナギが生んだ島々である

今の日本と比べるよと、北海道、東北、沖縄が生まれていないのである

 

古事記がつくられた当時は 北海道や沖縄が日本ではなかったからであると考えられる

 

正確には、当時の朝廷の支配が及んでいなかった地域で 当時、北海道や沖縄は認識されていなかった可能性が高い そのために日本の中に組み込まれていなかったのではないだろうか

 

東北に進出するのが7世紀ころの話

 

北海道にいたっては、15世紀ころにようやく本州の大名が支配に乗り込んでいったが 江戸時代の中期までは、日本地図にさえ描かれていなかったのである

 

沖縄も15世紀に琉球王国として成立し

日本とは別な国家として、東南アジアとの貿易を独自に行い繁栄していったのである

 

北海道も沖縄も、正式に日本の領土となったのは

明治以降の話であるから、ごく最近のこと…

古事記の神話の中に登場するはずもない、最近の話なのである

 

そして、国生みの前にイザナギとイザナミが最初に降り立ったとされるのが

淤能碁呂島(おのごろじま)だった

イザナギとイザナミが、まだ形の定まらない葦原中国を矛でかき混ぜ

引き上げるときに滴った海水が積み重なってできた島である

 

神話の中に話があっても この淤能碁呂島は、どこにあるのか全くわかっていない

 

しかし、いくつか候補はある

和歌山の紀阿淡海峡に浮かぶ友ヶ島

兵庫の淡路島北東にある絵島

徳島の鳴門海峡にある飛島

淡路島北西の瀬戸内海・播磨灘にある家島

淡路島の南にある沼島

など

どれも、イザナミとイザナギが最初に生んだ淡路島の近くにある島だ

その中で、最も有力視されているのが沼島である

 

国生みではじめに生まれたのが淡路島と四国だったので 昔の日本の中心は、阿波(徳島)だったのではないかと言われている

天岩戸の場所が全国に点在する理由

日本神話に登場する地名などは 現在でも、その名前の地名が存在し 神話の内容とともに、その土地に引き継がれている場合が多い

 

例えば、黄泉の国への入り口である黄泉比良坂は 現在の島根県松江市東出雲町に存在している

 

それと同じように 天照大御神が閉じこもったとされる天岩戸も存在するといわれているが

なぜか、その天岩戸は全国に存在するのである

 

その中でも一番有力とされているのが

宮崎県の高千穂にある天岩戸である

 

ここはニニギが降り立った場所でもあり 全国で天岩戸を名乗る場所の中では

一番、神聖な雰囲気を醸し出していて 神の存在を感じる空気感だという人も多い場所である

 

次に有力なのが 三重県の伊勢である この近辺には、天岩戸とされる場所が各所に存在していて

伊勢神宮外宮と、二見輿玉神社、そして三重県志摩にも天岩戸とさえる場所が存在している

志摩の水は、名水百選にも選ばれている

 

他には、奈良県橿原市の天岩戸神社

岡山県蒜山の山頂付近、徳島県つるぎ町、沖縄県伊平屋村のクマヤ洞窟などが 天岩戸の場所だったといわれている場所である

 

もちろん近畿地方が多いのだが 全国各地に、天照大御神が閉じこもった天岩戸の場所だと宣言するところが存在している

 

なぜ、こんなにも多くの場所が存在するのであろうか?

 

大きな理由としては そもそも高天原の場所が、はっきりしていないことが原因のひとつにあげられる

 

その高天原の場所が、おおよそでも検討がつけば

もう少し範囲を狭めることができそうだが

それができないので

天照大御神と関係が深いゆかりの地や 霊力が宿るとされる山中や高地、水辺などの その雰囲気を持った地形の場所などが 天岩戸でないか…と推測されたり または、自ら地域の人が名乗り出て、伝説にのっかてきた可能性もある

 

天岩戸に関係しそうな または、関係していると名乗っている場所は他にも多く存在していて 「天岩戸」という言葉だけではなく、「岩戸」や「戸隠」など名前のつく神社は 天岩戸神話にまつわる場所である可能性が高い

 

点在する理由のひとつに 古事記で解読しきれていない内容も数多くあると考えられていて その解読が進むにつれて 天岩戸の場所も特定できる日がくるのかもしれない

 

天岩戸での踊りの意味

天照御大神が天岩戸に隠れてしまって
世界が真っ暗になってしまった時
困った八百万の神々は、天照御大神をどうにかして
天岩戸から引きずり出そうかと作戦を練ることにした

 

その結果、神々は

天岩戸の前で宴会騒ぎを行うことにした

その作戦が正しいかどうか判断するために

神々に鏡や勾玉を作らせて占ってみた
その結果、その作戦を遂行した方が良い…という結果が出たので

天宇受売命(あめのうずめのみこと)は、神懸かりをして、胸乳をさらけ出し
衣装の紐を陰部まで押し上げて、裸も同然で踊り出した

それを見ていた高天原の神々は大笑いし
その笑い声が響いて、その場は賑わった
その周囲に響く笑い声を不審に思った天照御大神が
天岩戸の入口から顔を出し
その隙に引っ張り出して、天岩戸を封じてしまったのである
その一連の話が、天岩戸神話のあらすじである

 

天照御大神を引っ張り出すために天宇受売命が踊ったこの行為の意味について考えてみたい

 

これは、ただ面白く踊ってみただけではなく
祭祀的な意味合いを持つ儀式である

それは、踊る前に用意された道具でも推測できる

 

この儀式は「鎮魂祭」や「大嘗祭」を表すとも言われている

この天岩戸神話に関しては
暗くなった闇の様子を冬至の頃を表しているのではないか…という説もあり

鎮魂祭が旧暦11月の冬至の時期に、天照御大神の直系の子孫である天皇家の魂を鎮めるために行われる祭祀である

 

大嘗祭は、天皇の即位後に初めて行われる祭祀であり
その大事な行事の前に天皇の魂を鎮めるのが鎮魂祭である

 

この天宇受売命の踊りが神楽のルーツになっていて
このため、天宇受売命は神楽の神として祀られていて
芸能の向上によいとして、芸能関係者が参拝することが多い

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