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お墓とひとことで表すと…
「お墓を知っていますか?」と質問すると
当然、大多数の人々が「知っている」と答えるであろう
形、形式は様々であるが、ほとんどの人がその存在を知っている
しかし、質問を変えて「お墓とは何でしょうか?」と聞かれて答えられる人は少ないでしょう
「お墓は、亡くなった先祖に入ってもらう場所…」
間違ってはいないが、「お墓とは?」の問いに対する答えとしては
不完全なような気がする
「お墓」とは?
ひとことで言えば「シンボル」である
と言えるだろう
そもそもシンボルとは…
日本語で言う象徴である
憲法にも登場してくる
「天皇は日本国の象徴である」…と
このシンボルという言葉も難しく
あいまいで、解釈や学説も人によって様々である
わかりやすい例で言うと
「お金」は身近なシンボルではないだろうか?
「お金」そのものには何の価値もない
社会の共通認識として「お金」は価値のあるものだ
として存在しているから価値があるのであって
「明日から、何の価値もありません!」
という共通認識が発生すれば「お金」はだたの紙切れである
そういった意味でも、お金は「シンボル」と言えなくもない
「お墓」も、そのもの自身はただの石だったり、木だったりする
しかし、子孫の共通認識として
「お墓」は、先祖が眠るシンボルである-と決められているので
みんなが納得して、そこに思いをはせ
先祖の安らかな眠りを、供養を
その「石」なりに託すのである
「お墓はシンボルである」と考えてみると
「お墓」に対する考えが変わり
もっとシンプルに、もっと身近なものになってくるのではないだろうか?
宗教観を超え、神の存在も超え
自分の中に「お墓」の存在価値を見出した時
また新たな発見があることだろう
「神」もまた、「シンボル」と言えるのだから…
親神の祭り
現代では、「親」は自分の両親、育ててくれた人、配偶者の両親
などに限って使われる名詞であるが
その昔は、先祖のことも「オヤ」または「オヤオヤ」と呼び
現代の使われ方に限らず、使われていたのだ
現代でも「親玉」とは、特殊な業種の人限定に使用される場合もあるようだが…
そもそも「先祖」という言葉は漢語であって
輸入されていた言葉である
それまでは、先祖など自分よりも先に生を受けた人を総称して「オヤ」と呼んでいたようである
お盆に行なわれる「魂祭」(死者や先祖の霊の祭)も元々は「オヤオヤの魂祭」であったのだ
家の「氏神」を「おや神」と呼ぶ地域も存在する
新潟の佐渡島では、正月六日の晩を「親神さんの年夜」と称している
この六日の日を「年越し」とする理由は諸説あり
明らかにはなっていないようだが
室町時代から江戸時代の宮中の女房の日記「お湯殿の上の日記」の中には
「お年越し」という言葉が3度記されていて
それは「大晦日」「十五日」のほかに「六日の夕べ」であった
この六日の日に年越しが行なわれる理由は
現代の暦の理屈からも、月の周期の理屈からもかけ離れている
本来、先祖を祭ることは「穢れ」ではないにしても
その家個々の行事であることから
こまごまとした支度の多い行事にかぶせて負担を大きくするよりも
少し落ち着いた時期に、先祖を祭っていたのかもしれない
先祖に対する感謝の気持ちは変わらないが
その表現方法は、各地で違ってくる
それには必ず理由があり
一見、不可思議なものも多いのだが
話を掘り下げていくと
なるほど、その土地の風習や気候に合わせて
合理的に、そして感謝の祈りは省くことなく
行なわれていることが多いのである
自粛と物忌み
この度の、東日本大震災では
東北地方を中心に大きな被害があり、今なお多くの方が行方不明となっており
被災地では復興に向けて、力強く生きていこうとする人々の姿が報道されている
そして、被災地以外の人々は
その被害の大きさに驚愕し
1ヶ月を経過した今も全国的に自粛ムードが漂い
各地では、花見を中止するなど
「被災地では大変なのに、自分ばかり楽しんでいるわけにはいかない…」
と、いった雰囲気が漂っている
一方では、その自粛ムードが経済活動に影響を及ぼし
まわりまわって、復興資金を圧迫する原因になりかねないとして
過剰な自粛を避け、被災地以外の人は
日常生活を送れることに感謝をして
経済活動を奨励する動きも出てきている
自粛は、日本人が同じ国に住む仲間として
その心情を理解し、自分自身の気持ちを少しでも近づける優しさである
その優しさは、先祖を大切にしてきた私達の
そして、人類はみな同じ先祖で繋がっているという意識の現われではないかと思う
この「自粛」は、仏教でいうところの「物忌み」と似ているであろうかと思う
「物忌み」は、幅広い意味で解釈されることが多いが
辞書で調べてみると代表される解釈は下記のようなものである
《三省堂 大辞林》
(1)祭事において神を迎えるために、一定期間飲食や行為を慎み、不浄を避けて心身を清浄に保つこと。斎戒。斎忌。
(2)占いや暦が凶であるときや夢見の悪いときなどに、家にこもって謹慎すること。
「御―と言ひてければ、人も通はず/源氏(東屋)」
(3) (2) のときにその標として柳の木の札や忍草などに「物忌」と書き、冠・簾に付けたもの。物忌みの札。
(4)昔、伊勢神宮をはじめ賀茂・春日・鹿島・香取などの諸大社で、忌みこもって神事にあたった童女・童男。
(5)不吉であるとして物事を忌み避けること。
とある。
この物忌みに関しては、門徒(浄土真宗の信者)が引き合いに出されることが多く
「門徒物知らず」という言葉は
門徒が、物忌みをしないことから
「門徒物忌み知らず」という言葉であったという説もある
現代では、あまり聞かれなくなった
「門徒物知らず」という言葉も解釈が様々で
他宗の人に言わせれば
「常識知らずで、決まりごとを行なわない」
という解釈にもなれば
門徒本人に言わせれば
「臨機応変に、対応するのが門徒のいいところ」
と、都合の良いように解釈している節もある
物忌みひとつでも、宗派や解釈によって様々である
自粛も、自分の心の赴く方向に
気持ちが、自分の納得のいく形で表現できれば良いのではないだろうか?
門明け・門開き
現代では、「年始の挨拶」として
元日~3日ほどの間に、本年もお世話になるであろう人のところに尋ねていき
年始の挨拶をする風習があるが
もともとは、正月は「内で祝うもの」であった
年始…というか、その年のご機嫌伺いは
基本的には、3月末までに済ませればよいという雰囲気もあり
中には、年の半分=6月末までに挨拶できればよいとしていたところもあったようである
地域によっては、この「年始の挨拶」を正月行事としていないところも多い
そして、正月の行事として大切なことは
「氏神社の社参」と「本家への年頭礼」であった
四国の中央の山地のかなり広い範囲では
この行事を「かど明け」と呼び、年始の厳重な作法としているところもある
他の地域では、「かど明け」を「カドワケ」と呼ぶところもあるのは
「カド」を「門」のことだと誤解しているというはなしもある
家の大戸の口も「カド」と解釈されていたのは
「門松」という言葉があることでも理解できる
これが、一巻の中で行なわれる年始の礼儀なのである
元日の早朝(たぶん夜明け前)に
分家全員、もしくは分家の代表者が、本家の戸を開くのは
「元日の神をお迎えする」という意味であったと思われる
少しあとになると、その後に
本家のものが、分家の戸を開けにもいいたようだが
これは本家、分家の交際を「七分三分にしましょう」という趣旨の改良のようである
ただ、本家に戸をあけてもらうのを待っていては
遅い時刻になってしまうので
だんだんと、その風習は薄れ
新春の祝い酒を酌み交わすことがメインになっていたようだ
そして、その当時の人々は元日の始まりをその日の日の出ではなく
前日の日没…すなわち、大晦日の日が沈んでからが元日のスタートとの解釈があったようである
昨晩のことを「ユウベ」と言ったり
一昨晩を「キノウバン」と言ったりするのも
そのへんの解釈が影響しているのかもしれない
そのようなことから、一年の境を
大晦日の日没から…としていたのである
北海道では、おせち料理を大晦日から食べる風習がある
「せっかく作ったのだから、大晦日から食べるのが合理的」
という、北海道ならではの解釈もあるのだが
一年のスタートを大晦日の夜と考えるのであれば
あながち間違った風習ではないのかもしれない
「クルワ」「マキ」のある暮らし
この度、東北、関東地方を襲った震災に際し
被災者の方々に、心からお見舞い申し上げます。
いつも災害の報道を見て感じることは
地域の連携の重要性である
「遠くの親類より、近くの他人」とはよく言ったもので
このような災害には、とかく近所同士の助け合いが必要となってくる
昔は、親戚一同が近くに暮らし
助け合い、子孫に家督を継承し
その親族単位を守ってきた
同姓の親類一族の総称を「クルワ」または「ヤウチ」
祖霊信仰を中心とする同族血縁の共同体を「マキ」
と呼ぶ
どちらも同じように感じるが
マキは、本家・分家の統制集団とのニュアンスがある
北海道では、あまり見られないが
マキやクルワが、ひとつの部落を形成しているようなところは
同じ苗字の一角を確認することができる
小林、高橋、田中、佐藤といった
珍しくない苗字の場合でも
その分布にははっきりとした偏りがあることが確認できる
しかし、同じ苗字の二人に「親戚ですか?」と聞いても
めたに「そうだ」と言われることはない
それほど、同苗の家が多いので
「以前は親類だったが、今は付き合いがない」
「知っているが、関係性までははっきりしない」
「全く関係がない」
というのが普通である
現在は、親類の中に縁者…すなわち姻戚まで含めることが多い
姻戚を除き、残りわずかなものが
「マキ」と言われる結合体であろう
もっと言うなら
遠く離れて住む、先祖の出た家
その他、特別の由緒があって付き合いを続けているものは
親類とは言っても「マキ」の部類には含まれない
また、血筋以外の縁故によって、親類ではないが参加している人も多少はいるのだが
以上の事柄でも、「マキ」の形態は変化をしていないようである
先祖は何人いるのか?
- 2011-03-01 (火)
- コラム
先日、「ご先祖様って何人いるの?」と聞かれた
単純に、両親で2人
祖父母で、4人
その上で、8人…と、倍倍すると何人かわかる計算だ
さっそく、計算してみることに
今回は、ある基準から30代まで計算することとする
親で、1代と考える
1代 2人
2代 4人
3代 8人
4代 16人
5代 32人
6代 64人
7代 128人
8代 256人
9代 512人
10代 1,024人(千人突破!)
11代 2,048人
12代 4,096人
13代 8,192人
14代 16,384人(1万人突破!)
15代 32,768人
16代 65,536人
17代 131,072人(10万人突破!)
18代 262,144人
19代 524,288人
20代 1,048,576人(100万人突破!)
21代 2,097,152人
22代 4,194,304人
23代 8,388,608人
24代 16,777,216人(1000万人突破!)
25代 33,554,432人
26代 67,108,864人
27代 134,217,728人(1億人突破!)
28代 268,435,456人
29代 536,870,912人
30代 1,073,741,824人(10億人突破!)
ちなみに、世界の人口が10億人を突破したのは、200年前と言われている
1代を25年と計算すると
30代で、750年だ
そのころは、世界を合わせても10億人はいないであろう
当然ならが、この中には同一人物の重複も多数考えられることから
のべ人数であることは間違いない
しかし、たった750年で、単純計算でこれだけの先祖がいるのだ
イメージだけでもしてみると
自分の存在が愛しくなってくる
この膨大な人数から、無形の家督を受け取り
そして、幸せを願ってもらっているに違いない
遺伝子が繋がっていることを数字で意識してみるのもいいかもしれない
先祖を想い生きていく
「先祖」というキーワードをもとに
このコラムを書かせていただいているが
「先祖」と聞いて
みなさんは何を思うだろうか?
あまりに深く、永遠の議題とも思えるこの課題を前に
私は、幾度となく考え改め、書き進めている
歴史はもとより、民族学、宗教学、風俗など
さまざまな側面から、「人」を見なければ
この「先祖」を追及することはできないのであろう
さまざまな文献を読み進めていくうちに
人は、この100年以内の間に
とても重要なことを歴史の中に置き忘れているのではないか?
と、思うようになってきた
この長い人類の歴史の中で、100年はほんの一瞬であろう
その一瞬に、人類が長年培ってきたものを忘れてきた…
それは、「勘」なのではないか?とも思えてきた
人は、長年かけて、自然、そして宇宙と共存すべく手段を知り
それを、また長い時間をかけて子孫に継承していった
その歴史が、薄れてきている実感はないだろうか?
人は、人から生まれて繋がっていることを
心で感じているだろうか?
自分の、親、祖父母まではイメージできるだろうが
その何代も先の先祖に対して想いをはせ
自分がここに存在していることに感謝をし
そして、生きる知恵を子孫に継承すべく
先祖から学ぶ努力をしているだろうか?
先祖が大事にしてきた、自然と折り合うための「勘」をバカにして、知ろうとはしてないのではないか?
そして、現代に生きる私達は
先祖の教えを取り入れることをしないで
不要に苦しみ、間違いを犯していたりはしないだろうか?
あなたの悩みや苦しみを解くカギは
もしかしたら、先祖が知っているのかもしれない
めでたい日
- 2011-02-01 (火)
- 先祖について
新しい年になり、1ヶ月…1/12年が経過した
正月には、決意も新たに目標を掲げた人も
1ヶ月も経つと、今年の目標も雪に隠れてしまった人もいるかもしれない
お正月は「あけましておめでとう」という言葉の通り
「めでたい日」としてお祝いムードが漂っている
その証拠に、前年に近親者を亡くした者は
「喪中」と称し、正月を派手に祝うことなく
年賀状での挨拶も割愛して、おめでたい雰囲気を押し殺している
しかし、現代ではごくあたりまえに使われる「祝い」の言葉は
その昔は、少しニュアンスの違うものであったことをご存知だろうか?
本来の「祝う」の意味は
「身と心とを清くして。祭を営むに適した状態でいること」
を言ったものなのだ
もとは「斎う(いわう)」という文字を書き
神の御社の祭りの用意も「いわい」であった
祭をする人々が行いを慎み、穢れた忌まわしいものに触れず、心を静かに
和やかにしているのが「祝い」であり
その慎みが完全に守られている状態が
人に「めでたい」と言われる状態であった
心静かに、穏やかに、身も心も浄化している人を
「あの人はめでたい」と言うのだが
現代で使用すると
「何も知らずに能天気な人」の意になってしまい
ニュアンスがかなり違ってしまうので注意していただきたい
日本人の2大年中行事と言えば「盆」と「正月」である
正月はめでたくて、盆は死者との再会行事と思っている人も多いだろうが
元々は、正月も死者との再会の日だったのである
昔は、盆でも最近不幸が無かった家などは
「盆」の挨拶でも「おめでとう」と言っていたのだ
そもそも、正月に現代のように誰とでも祝言を交わすのは
そう昔からの慣わしではなく
元々は、家単位で「めでたい日」を祝っていたのだが
武家が元旦を「参賀の式日」と定めて
全ての配下の者を出頭させたのが始まりだとも言われている
「家来」という言葉も、元は「家礼」と書く者が多かった
それは、その家の者でなくても
正月やその他の礼儀だけは、一家一門の人々と同じ作法を守る…という意味であったことが想像できる
そのような礼儀が拡張して
友人、同僚、知人、しまいには1度会っただけの人にも
年賀状を出すという風習になっていったのである
~1からやり直さないように~家督は祖先のプレゼント
現代、家督や育成環境に囚われず
自分の進みたい道を選び、自己責任で歩んでいく-という生き方が当たり前のようになってきていて
商売を営む家などは、後継者問題に頭を悩ませ
商売を継ぐ子があればありがたがり
子も時には商売人の子であることを恨み、自分の夢を諦めてまで継ぎたくないとか
好きな道に進みたい…などと、実家の商売と全く違う道に進む場合も多い
昔は、今のように職業の選択肢も少なく
そもそも、職業を選ぶという概念より
どのように生き延びていくか?が最も重要な課題であり
生きていくために必死に田畠を耕し
その子が、引き続き生活していけるように田畠を継がせ、子が多いようなら新たに開墾し、与えたのである
これが、一代のみでリセットされ
人は家督を継がずに、一から開墾し
田畠を手に入れて、農業を営む-
などということになれば、大変な労力となり
なにより社会全体の効率が悪すぎやしないか?
先祖のさまざまな経験が知恵となり、基盤となり
その家督を継ぐことで、同じ過ちを犯すことなく
先祖の知恵を取り入れ、それに自らの経験や知恵を加えて、より高めたものを子孫に伝えていく-これがまさに進化である
血縁、地縁も引継ぎ
小さな社会の中で、絆や人間関係も繋いでいく
その縁を大切に育て、助け合っていく
現代は、近所付き合いや、親戚付き合いを煩わしく思う人も多く
小さな単位の家族で生活する人も多いが
昔のように、家督を継ぎ、地縁、血縁を大切にする生き方の方が効率が良く、無駄が少ないように感じられる
家督を煩わしく思うより
自分で積み上げる苦労や効率の悪さを考えると
ありがたいプレゼントであることが理解できるだろう
家督とは、商売の屋号ではなく
その中に含まれる縁や、知恵などの
多くの時間を割かなければ手に入れることのできない「無形の家督」が含まれることにも目を向けていただきたい
行方不明者の墓~一家族の決断~【8】最終回
- 2011-01-01 (土)
- コラム | 行方不明者の墓~一家族の決断~
5月の法要に向け、家族が動き出した
そもそも行方不明者を死者として扱い、法要を行なってもよいものなのか?
お世話になっているお寺に聞いてみた
返事は「住職に聞いてみないと…」と、言葉を濁したが
本意ではない様子が伺える
「遺体もないのに、法要を行い、戒名を付けてもいいものかどうか…」
おそらく「縁起でもない」という意見もあると思う
失踪者は生きている可能性も「0」ではないのだ
北朝鮮の拉致事件を見ていて思った
国民の大半は、30年近くの時を経てまさか失踪者が戻ってくるとは!と驚きだったのではないだろうか?
みな一様に諦めムードも感じられ
失踪者家族達がしきりに生存に望みを託し
真相の究明を訴える
そして、一部の生存者が戻ってきたのだ!
感動的な再会のシーンを見て、本当に良かったと心から思った
法要を行い、戻ってきたらどうするのか?
そんな考えもよぎったが
それは、それで嬉しいことじゃないか!!
人は…世間は…
生きているか、死んでいるかわからない人に対して
「死」の可能性を言及することはタブーとされている
しかし、失踪者家族は
そのことに縛られ続け
あてもないのに、望みを捨ててはいけない心情に駆られる
失踪者を死者と扱うと
悪人になったような気分になってしまうのだ
いつまで続くかわからない
目的の無い道は
生きていく人間を束縛していく
失踪した弟を死者として供養することは
生きている可能性を否定した薄情者なのだろうか!?
私は…
一旦区切りをつけて
もし生きていたらその時に考える…という結論を出した
否定する人もいるかもしれない
しかし、世論のために生きているわけじゃない
自分が納得すればいいのだ
そして、私は今後
もし、失踪家族に出会って
その家族が、失踪者に縛り続けられる人生を送っていたら…
解決策の一つとして、私の経験を話していきたいと思っている
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